アメリカ:闇の支配構造と略奪戦争
159758 「道徳再武装運動(MRA)」と日本の政治家・企業家たち
 
復讐の叫び 07/08/26 AM05 【印刷用へ
「道徳再武装運動(MRA)」について調べていると、かなり古くから、日本の大物政治家=岸信介や中曽根康弘に対しても関係があったようで
す。また、MRAの松下幸之助が今や日本を代表する大企業である「松下電器」を成長させた背後にはロックフェラーの力があったと考えた方がいいのでしょう。

日本人が知らない 恐るべき真実 研究ノート
■d-2-5 外交問題評議会と日本D
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引き続き『軍隊なき占領』から抜粋・引用です。

国際文化会館の実像

 CFRの活動家J・F・ダレスは、日本との平和条約への道を切り開きながら、日本を冷戦に引き込むという大胆な行動を起こした。1950年の極東への使節訪問が成功したため、ダレスは51年にふたたび、差し迫った平和条約の舞台づくりという任務を担ってハリー・S・トルーマン大統領の特使として派遣された。同行したのは国務省と国防総省の役人だったが、なかに一人だけ役人ではない者がいた。ジョン・D・ロックフェラー三世である。講和条約は、1951年9月、サンフランシスコで調印されたが、このときにも、どういうわけかダレスの傍らにはその姿があった。日米間の外交には多くの潤滑油が必要だったようである。

 『ニューズウィーク』と組んだ執拗なACJ一派と、それに便乗した日本の政・財・外交界の右翼派閥の力を借りて、ジョン・D・ロックフェラー三世は、天皇を含む日本の多くの重要人物とすでに面識があったと推測される。彼は、この“日出づる国”に、ある日、突然、姿を現わしたわけではない。ジョン・D・ロックフェラー三世をはじめロックフェラー家は、長年、ニューヨークのジャパン・ソサエティ(日本協会)を後援していた。ソサエティは、ロックフェラーの東京出先機関である国際文化会館の本部であり、監督機関である。

「文化交流」とは名ばかり

 占領が終わり、日本人の海外渡航許可が容易に得られるようになると、米日間の文化交流プログラムという概念が通用するようになった。しかし、冷戦の真っ只中でもあり、「交換グループ」の中には「文化交流」という名目で秘密の活動をしているものがあまりにも多かった。そうした策略の一つが、道徳再武装運動(MRA)だった。主に右寄りのアメリカの実業家が後援する反共の擬似宗教であるMRAは、過去および将来の日本の指導者たちを(ときには国防総省やCIAから特別待遇を受けて)アメリカや西欧への官費旅行に招待し、外国の指導者に引き合わせ、労使調和と反共について説教を吹き込んでいた。日本のMRAは、権力回復に野心を燃やしていた戦争中の異端者などに公開贖罪の場を提供した。

 MRAの大物の一人が、グルーの古くからのゴルフ仲間でもあった岸信介だった。60年代と70年代に、岸は他の悔悟者とともに、派手に宣伝されたMRAの国際会議で空涙を流した。日本では政治家だけでなく、実業家もMRAを支持した。とくに三井本家の弟の三井高維がそうだった。品がよく英語に堪能な三井は、MRAの創設者フランク・ブックマンを支持する欧米の裕福な人々のあいだに多くの友人がいた。占領期間中、MRAの会員には、一般の人たちよりずっと前から海外旅行が許可されていた。

 この幸運な旅行者の一人に、内務省の特高から海軍将校になった日和見の右翼政治家、中曽根康弘がいた。MRAに接近することの政治的利点をすばやく察知した中曽根は、スイスで開かれるMRA世界大会に出席するため、1950年6月、機上の人となった。一行はヨーロッパ視察後、アメリカへ向かった。彼は自分の目標については率直だった。アメリカへ向けた飛行機が離陸するのを待つあいだ、中曽根は三井の子孫に「十年したら私は総理大臣になる」と野心を打ち明けたという。実際には、それは三十二年後まで実現しなかったが、その間、いくつかの内閣ポストに就いた。その後、戦後もっとも破壊的なスキャンダルといわれるロッキード事件に連座しながら、また、数年後のさらに一回り大掛かりなリクルート事件でもそうだったが、奇跡的に無傷のままでいた。

<中略>

 親米派の政治家に庇護者がいたにせよ、いなかったにせよ、1970年代には、二国関係における力ずくの戦術や不正工作は、多種多様な文化交流プログラムを隠れ蓑にした、より巧妙な形の占領に変わっていった。この複雑に入り組んだネットワークの中枢を担ったのが、山本正という疲れを知らぬ人物が率いる日本国際交流センター(JCIE)であり、これは今日も変わっていない。

JCIEが日本におけるロックフェラーの利権を代表していること、MRAの本部であったこと、さらに日米欧(三極)委員会の事務局であり、CFRのプログラムさえ行なってきたという事実は、たんなる偶然とはいいがたい。

以上引用終わり。
 
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