学校って、必要なの?
159718 私塾の源流
 
志水満 ( ♂ 東京 会社員 ) 07/08/25 PM05 【印刷用へ
江戸時代は国際的にもまれにみるほど教育機関が発達していたようです。

ちょっと調べてみました。私塾とは
以下引用
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日本の江戸時代における教育機関は、「昌平黌」1校、「藩校」255校、「郷校」108校、「教諭所」、「心学舎」、「私塾」(全国1,140校)、「寺子屋」(全国約15,550校)
などがあった。「私塾」は、幕府や藩が設置した教育機関とは異なり、一定の枠にはまらず、塾主の個性と、有志者の自発性を基盤として発展した教育機関である。特に、江戸時代後期に活発な活動が見られ、多くの有能な人材を世に送り出している。 「私塾」には、咸宜塾(大分・廣瀬淡窓)、鳴滝塾(長崎・シーボルト)、松下村塾(山口・吉田松陰)、適塾(大阪・緒方洪庵)、洗心洞塾(大阪・大塩平八郎)、梅花塾(大阪・篠崎小竹)等があり、世に知られている。
 また、江戸・京・大坂を中心に、無名ながらも高度な教育内容を誇った個性的な私塾が数多く存在した。 江戸時代の教育水準は国際的にみても高かったと考えられ、武士はもちろん、商人や農民の間にも読み書きなどを学ぼうとする教育への関心が高かった。僧侶や浪人らが子どもに読み書きそろばんを教える寺子屋から、名の通った学者が指導し人材を輩出した著名な塾まで、さまざまな私塾が存在していた。さらに幕末に近くなると蘭学塾、兵学塾、医学塾など多様な学問の私塾も見られるようになった。塾として教育を行った期間は短いが後代に大きな影響を残したものや、また明治以降も、近代教育制度の中にその伝統が続いていったものなどがある。

・古義堂
伊藤仁斎は終生いずれの藩にも仕官せず、町の学者としてその生涯を全うした。その塾生数、仁斎の教えただけでも3,000人を数えたともいう。

・松下村塾
藩校明倫館の塾頭を務めた松陰が主宰し、武士や町民など身分の隔てなく塾生を受け入れた。短期間しか存続しなかったが、尊皇攘夷を掲げて京都で活動した者や、明治維新で新政府に関わる人間を多く輩出した。塾生名簿は現存しないが、著名な門下生には久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、伊藤博文、山県有朋、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、小野述信らがいる。

・咸宜園(かんぎえん)
は、江戸時代の先哲・広瀬淡窓によって、天領であった豊後国日田に1805年に創立された全寮制の私塾。「咸宜」とは「みなよろし」の意味。天領でもあることから、武士だけでなく、どんな身分でも、男女を問わず受け入れるということでこう名づけられた。
咸宜園はその歴史の中で、延べ4000人を超える入門者があり、江戸時代の中でも日本最大級の私塾となった。出身者には、高野長英や大村益次郎、清浦奎吾、上野彦馬、長三州、横田国臣、松田道之などがいる。80年間で、ここに学んだ人は約4,800人に及ぶ。

・鳴滝塾(なるたきじゅく)
文政7年(1824年)に、シーボルトが長崎郊外に設けた私塾。診療所も兼ねていた。木造二階建てで、書庫などがあり、庭には日本各地でシーボルトが採取した薬草類が栽培された。シーボルトは出島から塾まで通い、西洋医学や自然科学など科学の幅広い分野を教授した。鳴滝塾で学んだのは、高野長英、二宮敬作、伊東玄朴、戸塚静海など50人以上に及ぶ。
福沢諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲など、幕末から明治維新にかけて活躍した多くの人材が輩出した。

・適塾(てきじゅく)
蘭学者・医者として知られる緒方洪庵が 江戸時代後期の天保9年(1838年)に大坂・船場に開いた蘭学の私塾。正式には適々斎塾という。また、適々塾とも称される。明治維新後、大阪医学校の開校にあたり、教師・塾生とも移籍する事によって、その歴史を閉じた。大阪医学校の後身が、大阪大学医学部である。

ちなみに明治維新を迎えると昌平坂学問所は新政府の所管するところとなり、明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなった。
引用終わり

寺子屋でふつう教えられた学科は、和漢書(わかんしょ)=中国と日本の古典、筆道(ひつどう)=いわゆる書道、算術(さんじゅつ)などであった。
庶民の学ぶ動機は実学を学ぶということですが、江戸後期にはさらに世の中をどうするという意識潮流が生まれていたのだと思います。
これは武力支配の士農工商という身分制度は厳然として存在しながらも、実は商人が経済力を背景に実質的な力を持っていた。
その中で現状に飽き足らない人たちは市場社会における新しい序列の可能性をみていたのだと思います。
 
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