>いったんお金が万人の共認する最先端価値=評価指標となってしまうと、(国家によって施される場合を除いて)芸能であれ、情報であれ、全てはお金と引き換える事の出来る形に商品化しなければ供給できなくなり(∵メシが喰えない)、国家の施しの元を成す税も、お金で徴収される様になる。<
逆に言えば、お金を介在させれば、どんなものでも供給することが可能になったということ。問題なのはお金の性質ではなく、使われ方!
>それは専ら私的な充足の為にのみ使われ、社会統合の為には(国家以外)使われない。<
お金に対する可能性=別の使い道が、ここが分かって初めて見えてきた。
お金の使い道が変わってゆくことで、お金の性質そのものも、変わってゆくのではないかと思う。
では、お金の使い方をどうやって決めるか?、使い方をどうやって評価するか?というのが、新しい課題☆ |
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