共同体社会の実現
157431 「必要か否か」という「判断の土俵」は我々自身に対象性の獲得を促す
 
07/07/22 PM11 【印刷用へ
「必要か否か」と考える場合、必ず何に対して?を考えることになる。
それを考えないで済むのはその対象が自明のものとなっている場合である。
ある意味、私権時代は自分にとって「必要か否か」を考え、私権は必要だったので、私権を追い求めた。そうした自明の構造があるから必要か否かなどと悩む必要などなかった。

しかし、私権の強制圧力という自明の構造が消え、「必要か否か」という「判断の土俵」が形成されてゆくと(必要か否かの判断を意識し出すと)、「何に対して?」を考えなければならない。

現状はまだ自分観念も残り続けているので、「自分にとって必要か否か」という部分も混在しているが、一方では「自己中は敵」という認識も規範化されつつあるため、決して自分の都合だけで判断しているわけではないと思う。

「必要か否か」「自己中は敵」という認識は、対象を自分からみんな、そして社会へと対象性を広げる方向へ向かわせるのだと思う。

この対象性を獲得しようという動きこそが、勉強の必要であり、認識追求の必要でもある。
つまり、認識形成サイトの必要性でもあるのだと思う。

「必要か否か」このシンプルな判断軸は日常的に使えるし、誰にでも受け入れられる。そして、その言葉を使う我々自身にとって対象性を広げていく原動力になると思う。
 
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