1980年代半ばに大学に入った。
「思想に対する無関心18718」はすでに蔓延していて、思想的なものにはまったく興味がなく、かといって我武者羅に私権を追求するでもなく、文字通り「なんとなく」大学に行っていたクチである。
周りを見回しても、そういう学生がほとんどだった。
だから、
大学の先生(特権知識階級)が「構造認識」を商売道具としていた
すなわち、飯の種にしていた
という内容には、スッキリしない印象がある。
彼らの「構造認識」=思想を、カネを払って買っていた記憶がないからである。
しかし、自分たちの払う学費や、国や県からの補助で、彼ら教授たちは飯を食っていたのは事実。
なんでだ?
当時の学生の意識は、
やっぱ、大学は出といたほうが、とか
すこしはいい会社に入れるだろうし、とか
高校にくらべて大学は、自由でいごこちがよさそうだし、とか
が主流。
このような意識が蔓延し、ただただ「なんとなく」大学に行っていた。
つまり、
>何となく捨象しているだけでは、無意識の内に既に染脳された既成観念に支配され続けることになる。18719
という状況だったのだ。
この状況を利用し、彼ら特権知識階級は、学生にとって現実には何の役にも立たないどころか、その存在すら知らないような「商売道具」を使って、しっかり飯を食っていたのである。 |
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