近代化という波が、アイヌ民族をとことん追い詰めていく様子を年表でみていきたいと思います。彼らは法律で「土人」と呼称されていました。
参考:アイヌ民族の歴史年表リンク
【新政府のアイヌ政策】
1871年:明治政府、戸籍法を制定。アイヌは「平民(旧土人)」として編入される。このとき道内のアイヌ世帯数は13182戸、人口66618人。開拓使、アイヌ男子の耳輪、女子の入墨、家屋葬送など独自の風習を禁止し、日本語の使用を強制。イヨマンテ(熊送り)も禁止される。家屋葬送とは「死亡の者これありそうらえども、居家を自焼し他に転住等の儀、堅くあい禁ずべきこと」ということ。
1874年:屯田兵条例が制定される。失業した旧士族の救済と北海道開拓、それに北辺の防衛も受け持たせることを目的とする。
1875年:ロシアとのあいだに千島・樺太交換条約締結。これにともない樺太在住のアイヌ人841人が北海道に移される。いったん宗谷に落ち着くが、翌年6月さらに札幌近郊の対雁(江別太)に再び強制移住。
1877年:英国人宣教師ジョン・バチェラー夫妻が来道。平取、有珠などに自費で教会を建てる。日英に翻訳したアイヌ語辞書を編纂。札幌に開いた無料診療所では、札幌市立病院院長もボランティア診療。養女に迎えた向井八重子はバチェラー・八重子としてアイヌ解放運動に尽力。
1878年:開拓使、アイヌの呼称を「旧土人」と統一する。この前後に全道で、仕掛け弓・毒矢を用いた鹿狩りやサケ漁などが禁止される。鹿撃ちには猟銃が貸与される。
1879年:琉球処分。沖縄が日本政府の直接統治下に置かれ、自治権が完全に剥奪される。
1884年:千島列島北端の占守島に住むクリルアイヌ97名が、色丹島に強制移住させられる。その後、千島アイヌは病気や気候の変化などで体を壊し絶滅。
1886年:北海道の特殊性に鑑み県制が廃止。道内三県に代わり新たに北海道庁が設置される。
1893年:アイヌの生活困窮が全国的に問題となる。加藤正之助は帝国議会に「北海道土人保護法案」を提出。「土人にして農を業とせんことを希望するもの」に、「1戸当たり6千ないし1万5千の未墾地を付与す」というもの。沙流系アイヌは法案成立を目指し国会に陳情。議会での討論の結果否決される。
1897年:国有未開地処分法が交付される。内地の資本家、大土地所有者向けに農地150万坪、牧草地250万坪、森林200万坪を上限とする土地が無償貸与される。(貸与といっても、成功後は無償に付与されるというもの)
1899年:北海道旧土人保護法が制定される。アイヌ人の困窮に対処するため一戸あたり1万5千坪以内の農地が「下付」される。
1900年:近文のアイヌ給与地売却をめぐり、大倉財閥などが絡み、中央政府の大規模な汚職事件に発展。アイヌ人の抵抗も強かったことから、当局は移転を断念。
1901年:この年、全道の人口101万1892人。うちアイヌは1万7688人。
1904年:日露戦争勃発。樺太アイヌの山辺安之助、上川アイヌ北風磯吉らアイヌ人63名が従軍。
1919年:旧土人保護法の第一次改正。道内4ヶ所(平取、静内、白老、浦河)にアイヌのための病院が設けられる。
1912年:十勝地方のアイヌ系住民が道庁の指導の下に「十勝旭明社」を結成。勧農施策、住宅改善、小規模融資事業を展開。 |
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