原始共同体社会
154640 「寄り合い」という合議システム
 
是永恒久 ( 30代 東京 会社員 ) 07/06/17 PM10 【印刷用へ
>「規範」は自らが主体的に参加して守っていくものであるということは、もっと普遍的に捉えられるべきことなのではないでしょうか。<(3753)

村落共同体における寄り合いのシステムがそれらの「規範」を主体的に担っていたことが伺える記事がありましたので、紹介します。「寄り合い」という合議システムについて記載されていて、非常に重要な視点ではないかと思いました。

民俗学者「忘れられた日本人」(宮本常一氏著)を読まれての感想です。

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以下引用です。

読んでやはり強く興味を引かれたのは、本書の冒頭から描かれる「村の寄りあい」の話だろう。

<村でとりきめをおこなう場合には、みんなの納得のいくまで何日でもはなしあう。はじめには一同があつまって区長からの話をきくと、それぞれの地域組でいろいろに話しあって区長のところへその結論をもっていく。もし折り合いがつかねばまた自分のグループへもどってはなしあう。用事のある者は家へ帰ることもある。ただ区長・総代はきき役・まとめ役としてそこにいなければならない。>(本書p.13)

 著者が「古文書を借りたい」と申し出たのに対し、「そういうことなら寄りあいで話しあって」ということになった、その「寄りあい」が、これである。著者の申し出は朝話題にされたのだが、そこから関連した話題から話題へ移り、他の話題も話し合われ、午後3時を過ぎても著者の申し出に対する結論は出ない。
 そのうちふたたび古文書に関係した話題が出てきて、著者の申し出の話題にもどる。それからまた別の話題へと移り、そうしながら徐々にひとつひとつの話題に結論が出され、取り決めがなされるのである。
 こうして、決して結論を急ぐことなく話しあい(というか、関連する話題の交換)を繰り返しながら、それぞれが考え、村人全体の共通認識を作り、問題の「落とし所」を見つけていくのである。

<……(その場で寝たり、食事を摂ったりして)結論がでるまでそれがつづいたそうである。といっても三日でたいていのむずかしい話もかたがついたという。気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。みんなが納得のいくまではなしあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった。話といっても理屈をいうのではない。ひとつの事柄について自分の知っているかぎりの関係ある事例をあげていくのである。話に花がさくというのはこういう事なのであろう。>(本書p.16)

 こうした「合議」の姿というのは、現代から見れば「効率的ではない」とされるのだろうが、しかし「みんなが納得のいく」結論を得ることを最重要視するがゆえの、時間をかけての話し合いなのだと理解できる。
 こうした村の場合、村全体がみな「知りあい」であり、農作業にしても漁業にしても必然的に共同作業をやらなければならない。そうした中で村の「決めごと」をしようとするなら、「みんなが納得する」ことは非常に重要な事だったのではないか。
 そしてその「みんなが納得する」結論を得るための知惠として、村が築き上げてきたのがこうした「寄りあい」という合議のシステムだったのではないか。

 それは現代の「会期内にとにかく(多数決でも何でも)結論を出し、納得できなくてもしょうがない」とする(なってしまっている)「民主主義」の制度と対照的である。もちろんこの「寄りあい」のシステムが現在の国政のレベルで有効に機能するとは僕も思っていない。しかしここには、現代の「合議」というスタイル、「合意形成」のスタイルをどう有効に機能させるかについて、本書で言われている「話に花がさく」程度の示唆を与えるのではないか、という気がする。

 こうした「寄りあい」の効力は、村全体の「合意を形成する」という成果の他に、「各自の考えを村全体のものに寄り添わせる」働きをも持っているのではないか。
 今現在「公共の事を考えろ」と各自に迫っても、実際にそれで個人々々がその考えを改めていくのは難しいだろう。それよりもこうした「寄りあい」にも似た会合をいつでも、どこでも持てる環境を得る事によって、近隣の人々の考え方を、それぞれの個人的事情までも含めて受け取る事によって、翻って各個人が「近隣をも含めた考え方」に至る事は可能なような気がする。
 現在でも、親しい人がいるならその人の事情や考え方をくみ取って、自分の考えを「寄り添わせる」ような事は誰でもやっている事であろう。それが昔は「村」などの共同体や「寄りあい」という合議システムの中に取り込まれていただけの事なのではないか。
 
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