>○現実を対象化する=思考する=追求する(探索し、可能性収束=統合する)
☆近代風に、創造する、追求する、主張するという在り様そのものが、おかしいのでは?それ自体が近代パラダイムでは?
☆大切なのは、現実を対象化すること。それが、思考する(=探索し、可能性収束して統合する)ことの全てである。<7244
これを読んでかってマスコミは「正義の味方」といわれたことを思い出しました。でも今はそれは微妙です・・・。
マスコミには昔、権力の暴走をペンの力で抑制するという大きな存在価値がありました。
いまでも、多くのマスコミ人は、正義感に燃え、権力と対峙して闘っていると言うのかもしれません。
たしかに正義感が強いことはいいことといわれてきたし、立派な男の代名詞でもありました。
でもよく考えると実は、「正義の味方」は明確な悪が存在しないことには成立しません。そうなると明確な悪が存在しない場合は相手が悪だと思いこむ必要があるわけです。
そもそも事実を直視するなら、相手に対抗してわざわざ思考内容を主張し合うこともありません。
(創造する⇒追求する⇒主張する)ことがいいことだというのは近代パラダイムに侵されています。(ようは古い)
いまさら正義の味方を気取ってもしかたがないわけですよ。
現実を対象化するとは探索し可能性収束=統合するってこと。
それがすべてなんだ。
そのことに多くのマスコミ人たちが気づいてくれたらと思います。 |
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