>市場時代を通じて、市場を拡大させた主動因は、私権の強制圧力による抑圧からの解脱としての、快美幻想への可能性収束=快適さや便利さの希求である。逆に云えば、人々が私権の強制圧力からの解脱手段としての快適で便利な快美生活を手放せないことが、何をするにもお金がかかる社会が出来上がった原因である。30710
なにをするにもお金がかかる社会を成立させているのが、価格格差の幻想共認。そしてこの幻想共認を維持し続け、高めていくために使われるのが「騙しのテクニック」=広告ではないだろうか?
広告の歴史をすこし調べてみた。
●広告の起源は?
>「広告は詐術以上に呪術に近い」とも言われますが、広告の歴史は、まず、宗教広告からはじまったとも言われています。古代の呪術師は、自らが目に見える世界と目に見えない世界とをつなぐメディアになることで、人々の心に安らぎや平和、幸せなどのイメージを伝えてきました。また、恐怖のイメージを伝え、人々のマインドと行動をコントロールしてきましたが、広告が売るのは、このようなイメージなのです。
●商品広告の歴史は?
>かつて、貴族や武士などの特権階級だけに許されていた贅沢を民主化し、民衆を消費者に改造するために、近代の広告は大きな役割を果たしました。前近代を引きずっている不特定多数の民衆に近代の思想を植えつけ、産業革命以降、大量に生み出される製品を消費する顧客を掘り起こすために、広告が巧みに利用されていきます。近代社会の発展にとって、その近代が生み出した新聞、雑誌、ラジオ、映画、テレビ、イベントなど、さまざまなメディアが重要な枠割りを果たしました。
●広告主は誰か?
>明治初期、化粧品と書籍と並んで薬が新聞の三大広告主と呼ばれていました。明治後期においても、煙草業界、売薬、化粧品、食品(化学調味料、ビール、洋菓子)、百貨店(三越、白木屋、高島屋など)が主な広告主でした。
薬に対する日本人の信奉は、明らかな症状がある病人だけでなく、生存競走が激しくなっていく社会の中で、「もっとたくさん、もっと速く」という掛け声に励まされ、闇雲に生産し販売しつづけるために滋養強壮剤が求まられました。また、戦争の陰で広がる心苦しさや、機械の様に自分を抑制することに対して、「スッキリしたい」という思いが、「仁丹」の売行きにも影響を与えたと考えられます。自殺者は、明治14年の4,350人から明治41年には8,324人と倍増しています。
明治・大正における薬の広告は、薬事法が現在のように整備されていなかったこともあって、誇大広告に類するものが多々見うけられます。新聞に掲載された「私はこうして肺病を治した」として全快した人の写真を載せた広告の多くも、一種のでっちあげであったと言われています。
薬は昔から「薬九層倍」と言って原材料費と製造費に対して9倍の値段で売れるため、不特定多数の民衆が目にする新聞を広告メディアとして利用することによって、多額の利益を上げることが可能になりました。
以上 【広告の影響力が強まるマスメディア】リンク
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このように広告は「専ら私的な充足」を満たすために作れらる。そしてTVをはじめとするほとんどのメディアは、この広告料をもとにして、製作され、無料で閲覧し、消費される。
なにをするにもお金がかかる社会で、無料でその情報を享受できるのは、その大元にある「専ら私的な充足」⇒「価格格差の幻想共認」を維持するために膨大なお金(商品の価格には当然広告料は含まれる)が払っているからだろう。
つまり、広告→メディア(TV)製作→メディア(TV)無料の背景には、価格格差の幻想共認→なにをするにもお金がかかる社会がある。 |
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