共同体社会の実現
147873 損得勘定と必要か否かの判断の違い
 
渡辺卓郎 ( 35 東京 設計士 ) 07/03/24 AM02 【印刷用へ
行政に対する無駄遣い批判や『もったいない』という言葉の見直しなど、”必要か否か”という判断機能が再生しているかのような事象を最近よく見ることが出来ます。

消費者がそう簡単に必要でもないモノを買わなくなり、メーカーが必死になって消費者の好みを探ろうとしているのも、この大きな流れにあるのだと思います。

しかし、いまだ人々の判断軸を形成するのは、個人の好みから発していることがほとんどで、社会にとって必要か否か、というものではありません。

>この『必要か否か』という判断機能は、
>存在(本能・共認・観念)を貫く、極め
>て基底的な地平にある判断機能である。
33995 超国家・超市場論24 必要か否かの『判断の土俵』が、国家と市場を呑み込み、解体し、再統合してゆく】

必要か否かを判断するということは、人間がどうやって生き延びるかという、集団の課題として捉えるべきであり、ましてや個人の好き嫌いを発揮することなどとは関係がありません。

例えば、子育てという仕事は、昔はどんな貧しい時代でも、社会や共同体の課題として期待され、必要なことである、と判断されていました。

しかし、今現在、個人の損得勘定で”判断”したら、子供をつくることは損であるかも知れません(あんまり遊べなくなるし教育費はかかるし、真っ当な大人に育つ確証などどこにもない。まさか労働力としてなど期待できない・・・)

こういう自分勝手な判断がはびこった結果が、歴史上かつて無いほど豊かになった社会における、超少子化時代です。

個人の損得勘定と、社会にとっての必要か否かの判断は、厳密に区分されなければならないと思います。
 
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新しい潮流1 社会捨象→不全捨象の充足基調(’70・’80年代)
新しい潮流2 私権統合の崩壊と社会収束の潮流(’90・’00年代)
新しい潮流3 社会不全⇒認識欠乏の蓄積
新しい潮流4 言葉それ自体が引力を持ち得ない時代
新しい潮流5 実現派は仲間収束から社会収束へ
新しい潮流6 解脱仲間から認識仲間への逆転
仲間圧力と認識仲間
新しい潮流は、新しい人間関係を必要としている
市場社会の、カタワの「集団」
本当は、「集団」に入ったのではなく、社会に出たのだ
古い人間関係は、影が薄くなるばかり
関係パラダイムの逆転1
関係パラダイムの逆転2
活力源は、脱集団の『みんな期待』に応えること
収束不全発の適応可能性の探索、その深くて強い引力
充足基調から探索基調への転換
'90年代の危機感と変革期待の行方
秩序収束と答え探索の綱引き
潮流2:戦後日本の意識潮流
潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向
潮流6:’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束
潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流
今後10年間は充足⇒活力を上げれば勝てる 
「日本人はいつ物を考え出すのか?」(1) 共認充足が最大の活力源。'10年代はそれだけで勝てる
市場時代の共認非充足の代償充足⇒解脱(芸能)埋没
'70年〜現代 収束不全⇒本能的な秩序収束⇒課題収束⇒認識収束
現代〜近未来 対象への同化こそが新しい認識を生み出す
大学生が授業に出るのはなんで?
「やりがい」に潜む社会的欠乏
カリスマ 〜自分たちが共認できる価値観への評価収束〜 
仲間収束 2:一人でできない子
「働きたいから働こう」という意識
快美欠乏に替わって、認識の統合が最高価値になった。
判断の土俵とは、人々の潜在思念が作り出した共認圧力の場
『必要か否か』が環境問題に対する基底的な答えになる
芸能か、認識形成か

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