共同体社会の実現
147802 人類の外圧適応=『必要か否かの判断』は、認識形成サイトによって下される
 
越見源 ( 43 大阪 都市計画 ) 07/03/23 PM04 【印刷用へ
>『必要か否か』は、人々の潜在思念や事実に基ずく共認圧力=現実の圧力によって判断されています。(34154


『必要か否かの判断』は、厳しい外圧に適応する過程で生命が獲得した根底的な判断機能。(判断の誤りは死を意味する)


○動物の場合は、基本的に外圧適応=『必要か否かの判断』は、各個体に備わった本能が担っている。(各個体が必要か否かを判断)

○人類の場合は、共認こそ命綱であり、集団(社会)共認を形成することで外圧適応=『必要か否かの判断』を行っている。(共認圧力に拠って各個人が判断)


従って・・・

@人類の『必要か否かの判断』は、各個人(自分)にとってどうか?ではなく、集団や社会にとってどうか?の視点が不可欠。

Aそういった集団的、社会的な要否判断、評価共認形成を行ってゆくための「場」が不可欠。(⇒認識形成サイト)
 
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