学者とマスコミはグルで頭脳支配
146071 ネットに対する読者判断の確立によりもはやマスコミは「発信だけする側」ではいられなくなった
 
匿名希望 ( 30だい おとこ ) 07/02/28 PM09 【印刷用へ
株式会社と経済展望(リンクのサイトに「時代の変化に気付かず、マスコミ自身のみが「発信する側」であり続けていると思い込んでいるマスコミは多い。」という記事がある。

以下引用抜粋
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>■「本当のこと」は読者が判断

 まず、ブログやSNSで個人が自由に発信できる時代が来たことを既存マスコミ側が理解していない(もしくは、頭では分かっていても肌感覚で理解できていない)ことがある。

>前編でも述べたが、事実関係は当事者しか知りえぬことだ。しかし、取材される側がインターネット上のメディアという武器を持った時点で(その影響力は別にして)関係はイーブンになる。取材される側も自分の考えや意見、もう少し踏み込むなら「本当のこと」を伝えられるようになる。

>リテラシーの高い読者は、新聞の連載を読み、取材された側の反論を読み、さらに、この問題について言及しているブログや記事を読み、総合的に判断して結論を導き出す。「本当のこと」が何なのかはプロの記者ではなく、読者が判断することなのだ。

>■記者も舞台に上げられる時代に

 さらに言えば、これまでの取材が「1対1」という考え方にも違和感がある。私自身10年間記者として取材をしていたが、取材相手から愚痴や文句を聞くことが少なからずあった。強引なコメント取り、一方的なフレーム当て込みによる記事…。取材相手は記者の向こう側に多くの人々(つまり1対N)がいることを知っているし、怖いと感じていたはずだ。それでも、社会に広く情報を発信するには、マスコミに頼るしかなかった。

>コラムを書いた記者が感じたという恐怖は、取材相手がマスコミと接触する際にいつも感じていた恐怖と同じ。そこにも思いが至っていないのではないか。

>ネットでのマスコミ批判は理由なきものではない。静かに積み重なっていたマスコミへの不信感が、個人がメディアを持ったことによって顕在化しているに過ぎない。

>しかし、時代の変化に気付かないのは一部の記者や新聞社に限ったことではない。自身のみが「発信する側」であり続けていると思い込んでいるマスコミは多い。

>例えば、そのまんま東こと東国原宮崎県知事の記者会見は、県のホームページから動画共有サイトに転載され、多くのネットユーザーに閲覧された。

>映像に視聴者がテロップを入れることが出来るサービス「ニコニコ動画」では、「粘着して副知事の質問をするマスコミ」とのタイトルでアップされ、「この記者態度悪いな」「誘導尋問してんじゃねーよマスゴミが」「ブチ切れたらその瞬間だけ映すんだろうな、マジ腐ってる」と辛らつな批判の書き込み(テロップ)が並ぶ。

>いまや、記者も劇場の舞台に引きずり出されてしまっている。記者は劇を伝える観察者のままではいられない。言動だけでなく表情や服装も見られ、ユーザーによって判断される。しかし残念なことに、多くの記者たちは、このような変化に気付かぬままで、その姿はマスコミを批判するネットユーザーの格好の材料となっている。

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引用抜粋終わり

 かつては、ネットの登場だけではツールとしての機能だけなので、マスコミの共認支配に対抗は出来ず、クズサイトと言われるようなものしか未だ無い状況であった。

 しかし現在、認識欠乏(事実追求欠乏)の高まりから、読者達(みんな)の判断に左右されるネット界における規範・潮流(時代に応じた)の動きが出来上がり、ネットが本来持つべく共認媒体の地平(土台)に立ったと言えるだろう。

 一方マスコミは時代の変化に気付かず、マスコミ自身のみが「発信する側」であり続けていると思い込んでいるマスコミは多い。

 今年の動きとして、引用元サイトでも言われているように「予想以上に早くマスコミの大掃除が始まる」可能性は高い。
 
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