>私権不全=共認不全からの解脱は、貧困苦の時代は涙と笑いだったが、貧困の消滅した’70年代以降は笑いだけに収束した。
解脱の方法として、涙と笑いは確かに欠かせない。「共に泣き笑いした友達」といった言葉もつい最近まではよく耳にした。
しかし、最近の子供たちはどうだろう。共に笑う友達はいても、共に泣ける友達は少ないように思う。しかも、その笑いも表層的で心から笑っているようには見えない。むしろ、無理矢理笑っているようにすら見える。小学校低学年から塾や習い事に追われ、まともな人間関係を学べない彼らには無理矢理笑って充足感を得るという選択肢しか残っていないのかもしれない。
お笑い番組にしがみつき、不全感を無理矢理笑って解消しようとする彼らの姿から痛ましさすら感じてしまうのは私だけだろうか。 |
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