私権活力は衰弱し人々は潜在的には新しい場を求めているが、私権の現実(市場や国家)は制度化され固定化されているので人々はそこから(一部分しか)出る事ができない。
しかし、かといって、その(市場や国家の)惨憺たる現実を放置するわけにはいかない。
これは誰もが実感するところだろう。
しかしこれまでの運動は、
>例えば、私権の強制圧力が衰弱し始めて以来、有閑化や人(ひと)収束やサークル(NPOを含む)etcむしろ市場外の生活領域が拡大してきた。
しかし、結局それらは何ら新しい現実を結実させることが出来なかった。(35272)
>しかし、顕在世界=私権世界の秩序の根幹を成すもの、即ち統合機関たる国家や、評価指標たるお金は、いきなり壊してしまう訳にはいかない。
>それらに代る新しい社会統合機構(統合サイト)や新しい評価指標(投稿資格)が出来るまでは、それらの機関や指標は残り続ける。(35272)
なぜこれまでの運動は流産してきたのか?
市場外へ(=現実捨象)→何も実現しない。
or
旧秩序破壊(=現実否定)→しかし実際は破壊するわけにはいかないので実現しない。
これまでの運動にはは「現実を直視してこなかった」という共通した誤りがある。
>もう一度、我々の置かれた状況を貫く圧力をよく直視してみよう。
すべては現実直視から始まる!
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