>学校で習った歴史では、“農耕が始まって作物が貯蔵されるようになったがゆえに貧富の差が生まれた”とか、“農耕が始まって大規模な灌漑設備を作る必要があったから、大規模な組織を統合するために身分が生まれた”といったような説明がなされていたような記憶があるのですが、それだけで、「貧富の差」や「身分」が生まれるものなのでしょうか?(134270匿名希望さん)
たしかにこの点は疑問ですね。
先日の「なんでや劇場」でいただいた資料では、今から6000年ほど前に先住民ウバイド人をシュメール人が駆逐した(最初の本格的な掠奪戦争)の後に「捕虜を描いた円筒印章」が見つかっており、5500年前の最古の城壁の遺跡の時代のあとに、「自由民と奴隷」の記録が初めて出てきているようです。
シュメール人の侵略の前のウバイド先住民の時代、今から7000年ほど前には既に灌漑農耕が発達していた跡が見つかっているそうなので、おそらく、当時は、本源性を残した氏族集団を包摂した部族集団がゆるい連合を組んで、協同で灌漑などの大規模事業を行っていたのではないでしょうか(当時は、職業の専門化はある程度あったでしょうが、「身分」というのはまだ無かったのでは?)。
そして、シュメール人やアッカド人などにより虐殺や侵略が繰り返され、本源集団が解体されていくにしたがって、はじめて「支配階級」や「奴隷」などの「身分」が生まれてきたのではないでしょうか。
特に「奴隷」というのは、人間を「所有物」として扱ったり、家畜の一種として認識したりしているわけで、それまでの「外の仲間」という意識からはあまりにもかけ離れたものです。また、力(武力)でもって強制的に人を従わせる…という発想も、本源集団の価値観からは決して出てきません。
蓄財によって…とか、大規模灌漑事業の必要性などで、「自然発生的に奴隷などの“身分”が生じた」、と説明している教科書は誤っている可能性が高いのではないでしょうか。
人類集団における「身分」の形成の前と後には、大きなパラダイム転換が挟まっている。そのパラダイム転換は、“掠奪と虐殺・戦争による本源集団の解体”という大事件なのではないかと思います。 |
|