お金という現在の評価指標を獲得できないモノ。
NPO、○○運動、・・・etc。
何か一つでも実現できただろうか。否である。
現実の評価闘争に身を置かねば、その先には
「だから何?」「何でわかってくれないの!?」の応酬のみ。
当然より多くの人間を巻き込むことは不可能。
誰からも期待されず、当然共認なんか形成できるわけがない。
結局は独り善がりの、実現の可能性をまったく感じさせないモノにしか見えないのだ。
体感共認であろうと、観念共認だろうと評価指標の共認は、
いつの時代も不変であり、人類には必要不可欠。
お金に代わる指標を生み出せるモノ。
お金という評価を獲得したモノのみが社会を変える資格があり、
実際に可能性を感じさせる。
掘江にしろ村上にしろ、一時的には「経営とは株主価値最大化を目指すものである」=「会社は株主のもの」という観念を喧伝できたのだ。
そのような野望を打ち砕くにはどうすべきか。
だからこそ、市場の評価闘争に参加しなければならない。
それは決して私権獲得闘争ではない、評価獲得闘争なのだ。 |
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