>「女が可能性の流れを生み、男が可能性の実現を形にする。」
なかなか素直に頭に入って来ませんでした。
男の役割は、会社の仕事や家庭を守る(単一集団の課題)を全うすること。仕事成果を出すこととしてしか捉えられないでいました。逆にそれさえ真っ当してさえいれば許されるのではないかと錯覚していました。従って、「女の可能性の流れ」と言われても何のこと?止まりでそれ以上深く対象化することが出来ないでいました。
本日の仲間会議での気づきは、社会に許される意識も女の存在に対する意識も全てが支配意識からなかなか脱却できないでいたと言う事。
>「応望存在ゆえに柔軟であり、柔軟ゆえに支配観念からの脱却も容易であり、(本源共認の)可能性が開かれて真っ先に順応する。」
だから「女が社会の流れを変える」のではないでしょうか。
女の共認充足に素直に向う柔軟性を「可能性の流れ」と捉えるならば、男の社会的役割は、そうした女の充足期待から「共認社会の実現」と言う課題が鮮明に見えてきます。それは、単一集団からは決して見えてこないことがわかりました。
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