<今まで通りの男女充足共認を求めていたのにボスの意識が変化してしまったことによる、「仕事と私(たち)とどっちが大事なの?!」っていう存在不安→他者否定の自我です。(1605)
<まずは圧倒的な自然の恐怖の中で、みんなの期待=なんとかしてという救い欠乏が首雄に集中し首雄は苦しみながらもそれに答えようした。その時まず女たちの方に首雄に対する祈り=感謝と崇拝という感情が芽生えたのではないでしょうか?(闘争存在でない雌は自然外圧を前に完全に役割を一旦喪失し、みんなに対する充足存在、首雄に対する応合存在に徹するしかなかった。なにもできない=もうしわけない=謝罪、でも生かせてもらえている=有り難い=感謝という感情が、共認回路上に生起するのは容易に想像できます。)
(75260)
<女の価値は羊の数によって決まるようになった。つまり、女は共認対象ではなく私権対象物となってしまったのである。また、嫁ぎ先では初めの引用にもあるように闘争集団に全的に収束できなかった。(91189)
<相対的に力(活力)を失った女達がこうした闘える男達に対し「導いて欲しい」という女発の想いを発現させた時、新たな男と女の庇護依存(=和合)の関係が再生するのであり、必然的にそこでの女達の男達への期待の中身には、閉塞を突破する「答え」と同様、何よりも生きる上で必要不可欠の性充足期待が込められるに違いない。(93495)
このように真猿時代のメスの自我、始原人類時代の女の謝罪・感謝、遊牧時代〜近現代の女の自我、そして現在〜未来にかけての女性の救い欠乏から生起する新たな男性の庇護依存関係の模索を俯瞰すると、それらは、必ず外圧と対応している事が分かります。
1)真猿:メスの外圧弱い→集団を束ねるボスの気持ちが分からず自我回路の生起
2)始原人類:外圧にさらされた女性達は、救い欠乏から首雄への謝罪・感謝への念が生まれる。そこには、自我のかけらもない。
3)遊牧
弓矢の発明により外圧が低下した後、発生した遊牧形態。女の自我が再生起。以後90年代まで続く。
4)現代
社会がガタガタになっていく事による潜在思念で捉える外圧。女性の救い 欠乏=答欠乏が生起。→自我封鎖の可能性。しかしながら、圧力が顕在化しておらず、社会が過保護空間化している為に、反対に自己中の増幅。
このように自我の生起と圧力の強弱は、必ず繋がっている。現代は、始原人類と同様に救い欠乏の芽生えが見える。始原人類と異なるのは、まだ顕在化する程に人類が外圧を感じていない事。
このことは、女も男も同様だが、やはりまずやるべき事は、外圧を高める事。
それがこの間ネットで言われている「自己中は人類の敵」をはじめとする「共認圧力」を創り出す事に他ならない。
圧力が創り出され、始原人類と同様な状態になったその時、人類の新たな道が開けるのではないだろうか。
|
|