>小泉自民党の“コミ戦”世耕チーム(126067)
この世耕氏の戦略は、現状が共認社会でありその中で最も権力を握っているのがマスコミである事を十分理解した上で行った戦略であり、その広告会社と一体になって世論誘導・政局誘導を行う事は、既に始まっている共認闘争における勝つ為の一手段に過ぎない。
よって、このマスコミ支配の現状においてマスコミ誘導の戦略自体が問題の本質であるわけでは無い。
問題の核心はやはり、現実に共認支配されている中身がアメリカ発であり、そのおかしな中身をばら撒いている事こそが問題なのであると思う。その最たるものが小泉氏という日本に多大な影響をもつリーダーの発言が、アメリカ発の観念に染まっている事実であろう。
そもそも政治家の票集めの戦略は、利権誘導による戦略である。これは私権真っ只中の時代では有効な戦略であったが、既に現在は共認社会であり田舎→都市へと人口は集中し、大きな支持基盤は都市部に移行したと判断しても良い(小さいが確固たる基盤はいまだ田舎が多いが)。
この時代の流れと票集め戦略のずれ(=都会)に切開(既存の支持基盤からの脱却・新たな支持基盤創出)したのは、やはり小泉氏による解散総選挙の共認操作・支配という戦略であろうが、庶民の意識は、潜在的には共認社会の時代だと分かっているのだが、観念上は旧観念に変わる新概念が無いので、結局旧観念に絡めとられる結果になり共認支配されてしまう。
そういう意味ではマスコミによる共認操作は大罪であり、第一権力と言われる所以でもある。
しかし、庶民のパラダイムが私権のままであるから共認支配される構造にあるなら、新概念の共認さえされれば共認操作・支配される事は無い。そうなったら、既にマスコミの権力は小さなものであり、かつてのような真っ当な報道へと戻らざるを得ないだろう。所詮、現状のマスコミとは市場が国家の寄生虫であるのと同様に、権力(私権)に群がる寄生虫という存在でしか無いのである。
庶民にいまだ残存する私権パラダイムを、新概念という観念によって塗り替える事がこの共認支配・操作の中身に対する突破方針である事は明らかだ。
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