お父さんにボーナスが出ました。
(みんなで何を買うか家族会議です)
父:「お前達は何が欲しい?」
子A:「僕はプレステが欲しい!」
子B:「私は洋服が欲しい!」
子C:「僕はiPodが欲しい!」
母:「私は美味しいものが食べたいわ!」
父:「みんなで使えるものを買おうよ!」
子A:「じゃー、デジタル放送対応テレビ!」
子B:「今のテレビで十分じゃない?必要なくない?」
母:「じゃー、ドラム式洗濯機がいいかな?」
子C:「それだって、今使っているのでいいんじゃないの?」
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以上の会話は例え話ですが、
「お前達は何が欲しい?」
と各個人(自分)に対象が向かった場合、『私権(物財)』に直結し易くなります。
対して、
「みんなで使えるものを買おうよ!」
と対象がみんなに向かった場合、途端に『必要か否か』が判断軸となります。
この例え話はほんの一例ですが、家族と言う小集団においても対象の矛先によって判断軸が大きく変わります。これは社会という集団においても全く同様です。
私権の強制圧力の衰弱に伴い、共認社会へと転換していく中で、自分発からみんな発へと意識が転換していきますが、それに伴い判断指標も必然的に『必要か否か』に変わって行くのだと思います。
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