ここには久しぶりに投稿します。
彫りの深い顔つきの縄文人のDNAが寒冷地適応した北方系モンゴロイドに近いという事実について、インパクの人類博物館で次のような仮説が紹介されていました。参考にしてください。
(以下引用)
4万年前から3万年前、アジア地域には広く、現代の東南アジア人と似た人々が住んでいました。彫(ほ)りが深く、二重まぶた、濃い眉(まゆ)、手足の末端が長いといった特徴を持った人々です。ただし、北東アジアにいた人々と東南アジアにいた人々では、遺伝的にはかなりの違いがあったと考えられます。約2万年前から1万年前の氷河期、北東アジアにいた人々の一部がシベリアに進出しました。極寒(ごくかん)の気候を生き抜くために、彼らの顔つきや体型は急速に変化していきました。つまり、のっぺりとした顔、一重まぶた、薄い眉、胴長短足といった特徴を持つようになったのです。いわゆる寒冷適応を受けた北方アジア人【北東アジア北部人】の誕生です。しかし、遺伝的な特徴はほとんど変化しなかったと考えられます。そして数千年前、この北方アジア人がシベリアから拡大しはじめ、北東アジア全域に広がりました。この人々が、現在の北東アジア人になっていくのです。それまで北東アジアにいた彫りが深い顔立ちをした人々【北東アジア南部人】は、南へと追いやられていきました。彼らの一部がやがて、縄文人になっていったのでしょう。
(引用終わり)
つまり、縄文人は、現南方系モンゴロイドよりもブリヤートなど現北方系モンゴロイドと祖先は近いが、北から来たのではなく、もともと東南アジアにいた人々が北方移住派と後の縄文人とに分岐したのだという説です。
このシナリオによれば、後の弥生人も、この3〜4万年前の同じ祖先を持つということになるようです。 |
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