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「アフリカ起源説を補強する新証拠で、窮地に陥った多地域進化説」 A |
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毛針田万作 ( 41 岐阜 ) |
01/09/18 PM01 【】 |
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>それならこの問題で、オーソドックスな古人類学者は何も寄与できなかったのか? もちろん、そんなことはない。化石記録からも、アフリカ起源説は磐石なほどに打ち固められている。オモ・キビシュ(エチオピア)、クラシーズ・リバー・マウス(南ア)の人骨から、遅くとも10万年前には現代人的な形態を備えた人類がアフリカに現れていたことは、否定しようのない事実だろう。この頃、ヨーロッパには早期ネアンデルタール人が、アジアには後期ホモ・エレクトスが繁栄していた。これ以降も、アフリカではボーダー洞窟にも現生人類の痕跡は残される。しかも9万〜10万年前には現生人類は、出アフリカをして中東(イスラエル)に出現している。少し新しいが、途中のエジプトからも早期現生人類化石は見つかっている。現生人類がヨーロッパに進出しても、なお3万年前よりも新しい時代までネアンデルタール人は生き残っていた(アジアでは、それよりもう少し古い時まではホモ・エレクトスの子孫が生息していた可能性が高い)。このように極端なことを言えば、分子遺伝学の助力がなくても化石証拠だけからでも、現代人のアフリカ起源説は成立するのである。
ただしアジアでは、古い現生人類化石がほとんどない。したがって唯一、不明点を残すとすれば、東アジアでの人類の交代である。しかし、@遅くとも6万年前頃には人類が海路でオーストラリアに渡った証拠がある。A後期ホモ・エレクトスと考えられるソロ人(インドネシア)の年代はこの頃に位置付けられる、という事実がある。@はホモ・サピエンスが6万年前以前にジャワに達していたことを物語るものだし、Aはヨーロッパでのネアンデルタール人とクロマニヨン(ホモ・サピエンス)の例と同様に、後期ホモ・エレクトスとホモ・サピエンスとの一時的共存を示唆している。
上記のように「イヴ仮説」はもはや無効だが、それに代わる分子遺伝学証拠と化石証拠から、誰かの言い回しではないが、「人類はみな兄弟」、しかも500万年の人類史からすればつい最近生まれたばかりの兄弟だという事実は、動かないだろう。では、ヨーロッパのネアンデルタール人とは? 兄弟ではなく、従兄弟の関係になる。
ネアンデルタール人は、ミトコンドリアDNAの証拠から考え、現生人類の祖先とおそらく80万年前以降、50万年前以前に分岐した祖先の生き残りである。ネアンデルタール人の祖先がどこで現生人類の祖先と枝分かれしたのかは、分からない。ヨーロッパでというよりは、むしろアフリカで、だったかもしれない。ネアンデルタール人の祖先も、アフリカからヨーロッパに渡り、そこでアフリカの兄弟から遺伝的交流を絶たれて、特殊化を遂げたのだろう。というのは、ネアンデルタール人にだけ存在し、それ以前の人類にも、また現生人類にも存在しない派生的特徴がいくつも認められるからだ。あまり知られていないそうした派生的特徴の一つに、1978年に米ハーヴァード大学のアルバート・サンタ=ルカが明らかにしたものがある。なお派生的特徴とは、その種に初めて見られるようになった新しい特徴のことだ。原則的にその種の後継種にも、もちろん受け継がれる。
サンタ=ルカが着目し、ネアンデルタール人を形態的に定義できるものとみなした派生的特徴は、四つある。@後頭骨を横に走る後頭隆起、Aその後頭隆起上で楕円形に陥没したイニオン上窩、Bよく発達した乳突傍隆起(現代人でよく発達する乳様突起の内側にある)、Cこの上でよく発達する乳突上隆起、である。いささか小難しい解剖学用語だが、つまりこれらは、ネアンデルタール人の頭の骨の後ろ側と下側に見られる特徴なのだ。重要なのは、この四つの特徴をすべて備えているのはネアンデルタール人以外にないことである。だからこれらは、ネアンデルタール人になって初めて現れた派生的特徴と言える。では、ヨーロッパの早期ホモ・サピエンスであるクロマニヨン人にはあるのだろうか。四つの派生的特徴は、見られないのである。したがって、クロマニヨン人はネアンデルタール人の子孫でないことの何よりの証明となる。
前置きが、長くなった。肝心のY染色体の番である。言うまでもないがY染色体は、男性にしかない。したがってミトコンドリアDNAが母系遺伝なのに対し、Y染色体の遺伝は父系遺伝ということになる。適切な表現とは言いかねるが、ミトコンドリアの「イヴ」と対比すれば、Y染色体の分析で「アダム」を探せることになる。
米科学誌『サイエンス』5月11日号で報告された中国人研究者を主体にした研究のポイントは、アフリカ起源説の唯一の泣き所であり、逆に多地域進化説のただ一つの拠り所であった東アジアでも、人類の交代が起こったことの明確な論証である。研究チームは、東アジアの他に、東南アジア、オセアニア、シベリア、中央アジアに及ぶ広大な地域に住む163民族の1万2127人の男性から血液を採取し、そこからとった細胞のY染色体を分析した。驚くべきは、その標本数である。1万2127人もの男性で構成される標本は、半端なものではない。この種の研究で、これだけの巨大標本を対象にしたものは初めてだろう。したがってデータの信頼性は、抜群である。
この結果、1万2127人の悉くは、Y染色体上の三つの座位の一つに突然変異を持っていた。そしてこの突然変異は、実は前年の2000年に米スタンフォード大学のピーター・アンダーヒルらによって発表されたY染色体上のM168という突然変異と結び付いたものだったのだ。この研究でアンダーヒルらは、アフリカを含めた世界中の21民族1062人の男性Y染色体に残されているM168という突然変異は、3万5000年前から8万9000年前のアフリカで起こったと結論した。今回の中国人主体の研究チームが明らかにした突然変異は、M168を受け継いだものだったのだ。このデータから同研究チームは、「東アジアの解剖学的現代人の起源に在来のホミニド(北京原人とジャワ原人の系統)がいくらかでも寄与したことは全く考えられない」と断定している。
こうした動向を受けてか、熱烈な多地域進化説支持者を自称していたカリフォルニア大バークリー校のヴィンス・サリッチは、現生人類にネアンデルタールやホモ・エレクトスのY染色体を持った系統は存在しないし、ミトコンドリアDNAでも同じなのだから、旧大陸全体全体で現生人類による全面的な交代が起こったのだと発言し、アフリカ起源説への転向を宣言した。
大御所ミルフォード・ウォルポフは、はたしていつ白旗をあげるのだろうか。
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