>真っ向から闘争に向かって欲しい、もっと本気になってほしいと思う人たちがいる。
>その人たちに対して、どう期待していいのか?もう必要ないのか?の判断に迷いが生じてしまい、あきらめてしまうことが多い。そのあきらめが集団(その先の社会全体)を劣化に導いているのではないかと感じる。(108247)
闘えない若者と、闘わない中高年が変革の足枷となって社会や企業の活力を衰弱させる。闘わない官僚とひ弱な国会議員が繰り返えすマスコミの茶番劇は、欧米列強との戦いに敗れて60年、わが民族の悲劇を映し出す。然し、閉塞した世論に風穴が開かない本質問題は、闘えない若者より「闘わない中高年」にある。
戦後60年の占領政策が仇となって、日本男児は根こそぎタマ抜きにされ、「遊び第一」、「女第一」、「家庭第一」と、人類史を欺く滅亡の支配観念に染め上げられて仕舞った。縄文の精神が破壊され「タマが抜かれた男」では、欧米の男達の羨望の的だった「日本の女」の新たな規範再生の支えにもなれない。
「課題第一」、「仕事第一」になり切れない戦後世代は、「遊び第一」との価値混濁が仇となって、闘争圧力には腰が重くなって闘えない、何処までものらりくらりと立ち回る。
国家間・企業間の闘争圧力は再び激動期に入って、判断のスピードや変化に即応する行動力が格段に求められだしたのに、国家も企業も指導層(管理職)はやたらと及び腰。闘争圧力に黙り込む中高年が圧倒的多数、そして若い世代の活力を殺ぐ。
然し此処にきて若い世代から、再起の芽生えがある。‘02年頃から、若者世代の「統合不全→収束不全の意識潮流」が顕著になって、遊びだけでは誤魔化しきれない「心の不全」が生起して来た。
「遊び第一」が抜けきれない団塊世代の「個人主義」に対して、若者世代には「課題や仕事第一」の「仲間主義(集団主義)」へと、明らかな反転現象が見られる。閉塞した時代に風穴を開ける、若者達の「るいネット」への投稿が増えて来たように思う。
若者の「課題第一」、「仲間第一」をスポイルする、そんな中高年世代は指導職から引き下がらねばならない。 |
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