>社会不全は答え(=新しい認識)によってしか解消されない。つまり、社会不全を従来の解脱様式で捨象することは出来ない。(例えばテレビは私権不全から社会不全への大転換によって、完全にズレた物となり果てた。)また、「等身大の幸せ」etcの言葉=頭でいくら捨象しても、解脱充足先がない以上、不全は解消しない。その上、不全の増大につれて充足基調の充足度も、どんどん低下してゆく。
今年になっても、構造偽造問題や親子殺人、IT企業の粉飾決算等相変わらずの問題が報道され続け3ヶ月もたてば次の話題にとって変わられ、いずれはそれも消えてゆく。
一向に改善しない状況から社会不全は蓄積され続けている。
今回特に注目を浴びたのは社会的に信頼されていた人や時代の先端産業で成功した人と思われいた人たちの犯罪であったことから、よりいっそうの注目を浴びたものになっていた。
その注目共認はテレビの格好のターゲットになり、情報番組の表層的な取材に振り回され、構造化には向かわず興味本位のいわば解脱的なものやわかりやすくに迎合した、本質とはかけ離れた暴露合戦でいつの間にか話題が変わっていた。
そんなテレビに見切りをつけてテレビ離れは始まっている。
若い人たちはネット探索やブログを通じた仲間との交換で認識を深める活動をしていると聞く。
ただ商業ベース介入に邪魔されやる気を無くす等の問題もあるようだ。
ぜひ、自由で活発な認識追求ができる環境を持った「るいネット」の存在を知ってもらいたいものだ。
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