>知識人が答えを出せない理由は、未だに否定or自我に基づいて思考しているが故に、既成の誤った「構造認識」や「価値観念」から脱却できないからである。
新しい『基本構造』は、否定意識や自我意識に(もちろん感応観念にも)囚われない新しい潜在思念によってのみ考究される。
それは、充足基調⇒本源収束、および社会不全⇒社会収束の潜在思念である。
既に若者は、知識人が生み出した既成の「構造観念」や「価値観念」にはウンザリし、潜在思念が導くところの対象=仲間・みんなとの関わりを求めて、活動している。
この点では、もう少し現実を対象化し、実践する中から有用な理論を導き、新しい構造認識を構築しようと模索する実現派が多く登場しても不思議ではないが、未だ、無意識のうちに、否定意識や自我意識(感応観念)に絡めとられ、流産している状況にあるのではないかと思われる。
>ここで、課題捨象⇒充足収束は、全般的な思考捨象・観念捨象を促す。他方、社会不全⇒社会収束は、社会探究と構造観念への収束を促す。しかし、答えは見つからない。
そこで、充足基調の底流が、安定・調和を旨として危機感・閉塞感にフタをすべく、出来合いの「自由・個人・人権」etcの標語への表層収束を促し、統合階級による観念支配を後押しする。19273「全てのネックは「答えを出せない」という一点にある」
先ず、自らの潜在思念が導くところの対象への収束とは、社会不全からくる社会収束そのものであり、対象とすべき課題を明確にすることが必要。それらの社会収束の先には、明確に否定すべき私権や私権観念の壁があり、それらを否定から、突破すべき課題だと置き換えることが重要である。
また、それらの壁の根幹には「自由や個人・人権」思想に支配された観念の壁があることを知れば、無意識のうちに絡めとられていた価値観念には大して拘ることもないことが分かってくるのだと思う。
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