>それぞれの能力に見合った役割が与えられ、それをまっとうすることで皆が充足できる集団、それが村落共同体の姿であり、「オコモリ」はその一端を示していると言えるのではないかと思います(1169)
当時の村落共同体の状況を知るにつけ、成員の全てが「充足可能性」へと収束しその「充足可能性」が結晶化した「役割」へと収束していた様が伺えます。
村落共同体のシステムそのものが「充足統合」そのものを成しているのが、時代を連綿と貫く「充足可能性探索」の塗り重ねの結果と見て取れる。
「自由」や「平等」といった旧観念から自在であり、「人権」「福祉」といった欺瞞観念からも開放された、ただ皆の充足の為に作り上げられてきた様々なシステムから、我々現代人が学ぶ事は多い。
奇麗事の「充足可能性」ではなく、現実に根ざした「充足可能性」の実現体が存在した事。その事実を見つめなおさなければならないのだと思う。「一対関係」という閉鎖した男女の関係が、諸問題を隠蔽する根本原因になっているという事実も、我々現代人は確りと認識する必要がある。
昨今の「役割収束」の潮流から、「個人の充足」を追求する時代は、そろそろ終焉を迎えようとしているのではないだろうか。
いま改めて、「みんなの充足」へと足を踏み出そうとする時に「男女関係」こそ、史実を遡って、どんなシステムが実現可能なのかを探索していく必要がある。 |
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