最近見たニュースで「スクールカースト」という言葉を発見しました。なんだかよろしくない言葉だなあと思いつつ、気になったので調べてみました。(参考リンク)
スクールカーストとは、主に中学・高校で発生する「人気のヒエラルキー」で俗に「1軍・2軍・3軍」「イケメン・フツメン・キモメン(オタク)」「A・B・C」等と呼ばれるグループにクラスが分断されてしまう状況らしいです。
また、グループ間交流がほとんど行われなくなる現象でインドの「カースト制度」に酷似していることからこのように名づけられたとの事。
確かに僕が学生のときも目立っている人、普通の人、ちょっと変な人?みたいな区分はありましたが、ここまで階層化されてはいなかったのでびっくり。
しかも、注目すべきがその階層の決め手となるものは、「人気」なのです。
要は「一緒にいて面白い」「かっこいい」「運動ができる」という所で階層が決まってくるのです。
また、この階層とコミュニケーション能力が関係しているかといえばそうでもない。
コミュニケーション能力の有無ではなく「目立つ」事が重要なのです。
しかもこの階層が決定されるのが大体クラス替え等があった1ヶ月で決まってしまう。
また、「カースト」の名が示すとおり、いったん階層が固定されると容易に変動しないのです。まさに「カースト」ですね。そして当然の事ながら、最下層にいる人たちは、上からの一方的な圧力にさらされることになります。簡単にいうといじめです。
さて、このような現象が各地で発生しているらしいのですが、はっきりいって好ましい現象とはいえません。しかし現実問題として起きてしまっている。なぜこのような現象が起こってしまうのでしょうか。
この原因には、大きく2つの要因があるように思います。
一つ目は、社会の転換
この現象は、「人気」という人の評価そのものが非常に力を持っている一つの現象なのでしょう。序列の評価対象が変わったのだと思います。旧くは「暴力」(戦争社会)でした。そして、「暴力」に変わって台頭したのが「金」(市場社会)でした。しかし、我々は豊かになったことで「金」すらも序列の決定要因ではなくなってしまいます。
さて、次の評価要因は?そこで「人気」というものが出てきます。るいネットで「共認」と呼ばれるものですね。この機能は、人間誰しも持っているもので「金」のようなもので序列が決定するよりも他人からどれだけ評価を得られるかという意味である人気の方が健全です。
二つ目は、学校という特殊性でしょう。そして、これがスクールカーストの問題なのだと思います。
つまり、学校には、課題が無い。つまり人の評価の対象となるものがないのです。
だから、かっこいいだとか面白いだとか、表面的なものでしか判断することが出来ない。
これが農村だったらどうでしょうか。働かなくてもかっこいい人、顔は微妙だけどせっせと働く人。評価は歴然でしょう。課題がはっきりしていますからね。
ここまでのことからスクールカーストとは、人の価値が「他人にどれだけ評価されるか」という事で決まってくる社会において、健全な評価軸を作ることの出来ない学校の体制に問題があるという事が言えるのではないでしょうか。
子供達にとって健全な評価軸を創り出すか。それが重要なのだと思います。
社会の状況自体は、悪い方向へ向かっていないと思います。しかし、このまま指をくわえてみていると先人たちが実現した「豊かな社会」は崩壊し、「お金」が第一の社会へ突き進んでいってしまう気がします。
そうならないためにも、将来を担うべく若者にまっとうな評価軸つまりは、課題を創りだす事が急がれるのではないでしょうか。
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