若衆宿の名残といえる制度が三重県の答志島に残っています。
>寝屋子制度はいつから始まったか判明しないが、百年以上前から続いている様です。一説では、海賊大名である九鬼嘉隆は舟の漕ぎ手をいざという時に集めやすかったからという説もある
この制度は、中学校を卒業した男の子が、両親の揃った家の一部屋を借りて5,6人ぐらいで寝泊りをさせてもらう制度です。日柄の良い日を選んで家具を運び、その日から家族同様に寝泊りします。その家を寝屋子といい、その子供達を寝屋子の子供といい、その家の親を寝屋親といいます。しかし寝屋子の子供達は、寝屋子で寝泊りするだけで日常の仕事は朝、自分の家に帰って仕事をして、夕食を食べてから寝屋子に集まってきます。寝屋親には、朝夕きちんと挨拶を交わし、集まった子供達はその日の漁の話や彼女の話などをして過ごします。
寝屋子の子供達が年頃になると、寝屋子同士は女の子の家に遊びに行って、彼女を選びます。結婚の話がまとまると、寝屋親は仲人となり正式に婚約します。結婚式は寝屋親は上座に座り、祝宴の盃をとります。そうして寝屋子の子供達は嫁さんをもらうとその日から寝屋子を出て、自分の家に戻ります。家に戻ることになっても、一度寝屋子を取った者同士は朋友会を組織して、生涯親交を結んで生活していくわけです。
寝屋子は漁業の町、答志島を支える原動力です。寝屋子には答志という大きな共同体を作っている根源であり、答志漁協の団結の力の秘密は寝屋子制度にあるのです。<リンク
工業化以前の日本では生産も解脱も人々が力をあわせなければ何も出来ず、自ずと村落共同体が営まれていたが明治から昭和にかけて村落共同体が解体されていき、若衆宿や夜這い制度も失われていった。
しかし、離島の漁師町では漁業の担い手を確保する必要と、海での仕事には命運を共にする義兄弟のような契りで結ばれた共同体がより適していたために『寝屋子』制度が現在まで続いているものと思われます。
(現在はだいぶ薄まった形になっているようだが)そこには婚姻も包摂していて、共同体の求心力を高めているのがうかがえます。『寝屋子』制度が現在も続いているのは、答志島の人々が本当に『必要』としているからで、島の自然環境、経済状態などの条件も作用しているが、なにより人々が期待応望を活力源とする共認社会をよりどころに生きている証なのではないでしょうか。
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