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南からの海洋漁猟部族(磨製石器) |
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細田卓司 ( 中年 香川 技師 ) |
01/09/11 PM05 【】 |
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日本人の起源(今のところ縄文人の起源)を探る・NHKスペシャル”日本人はるかな旅”第2回に,海進により,多島海となったスンダ大陸(永田さんや蘆原さんが紹介されているモンゴロイドの故地かもしれない)発の海洋モンゴロイドプレ縄文人の話が出てきましたね。
彼らは,海洋民族として必須の船を作るための道具である磨製石器を携え,黒潮に乗って南九州に上陸し,そこの照葉樹林の森で海洋漁労民族から採取生活に転換し,早くも雑穀の栽培をはじめたりしていたようです。
そして,彼らは,日本列島の土器としては先駆的な時期に,弥生時代に見られるような,穀物の保管土器を作っていますが,そこには,縄文ではなく,貝殻を押し付けて作った,模様が刻まれています。(後の縄文土器文化とは,異質な先駆文化なのでしょうか?)彼らは,九州のかなり広い範囲に展開していたようですが,海底火山の大噴火により壊滅的打撃を受けてしまったようです。
永田さんが9505で紹介しておられる鹿児島の遺跡(耳取遺跡)のプレ縄文人たちです。
彼らが,南海の故地(故海か?)から携えてきた,造船工具である磨製石器(を作るスキル)は,舟を必要としない森の日本列島で,精緻な石斧に変化します。そしてこの石斧を使う文化は,(おそらく海経由で),日本列島の各地に伝播していきます。関東の縄文遺跡からも,鹿児島の遺跡から見つかったものとそっくりの石斧が出土します。
・・・森の日本列島で何故石斧なのか?住居等の材料としての木材を切り出す道具でもあったのでしょうが・・・森の生活様式である採取とほぼ同時に見出すであろう原始的な栽培の為に森を伐採開墾する為の必需品ではなかったか?そしてこれは縄文時代という生活を支えたもう1つのキーテクノロジじゃないんだろうかと勝手に想像しています。
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極北のシベリヤから来た狩猟民族,インドネシア,フィリッピンあたりの南海から来た海洋漁労民族・・彼らは,それぞれの故地から携えてきた知恵を以って,日本列島の森に適応し採取生活を始める事で,縄文人になったのであろう。
日本列島への2つの渡来のルート以外にも,さまざまなルートで,未明の渡来があったのかもしれない(ポリネシア語の音韻と日本語の音韻の共通性を指摘する研究もあるようだ。) またこれらの渡来は,高々2-3万年前までにしか遡らない,人類500万年の歴史からすると極最近の事であり,プレ縄文人の先住民が日本列島にいたって不思議はないし,永田さんの投稿にはその痕跡が紹介されている。
しかし,大掛かりな,種族間の闘争(私権時代以前だし)があったことを示す,痕跡は見つかっていない。ということは彼らは,融和し,混血していたのかもしれない。
とまれ,現在にまで続く温暖期の日本列島の森に適応し採取生産をはじめた人たちが縄文人であり,それが現日本人の源流である事は間違いないんだろう。 |
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