>観念機能を命綱としてきた人類にとって、これは致命的である。観念機能が作動しなければ、人類は絶滅するしかない。(実現論3_5_05)
最近の若者を見るとそれでも必死になって答えを求めて、まためちゃくちゃ考えてるようにも見える。
しかし、いくら自分の頭の中で考えても、答えが見えず、「答えらしきもの」にとりあえず飛びつく。
不安を消すためには、それが「答え」でなくてはならない。するとその「答え」と照らし合わせて、少しでも違う事象に敏感に反発してしまう。
しかももともと自分の価値意識に照らし合わせるようにして、咀嚼しているため、その時点で「答えらしきもの」は価値観念化する。
例えば、「共同体」という概念ひとつとっても、それが自分の価値観念になっている以上、観念ばかりが先行し、自らの理想と相反する部分に執拗に反発する。
また、どうしてもそこが相入れなければ、「共同体」という概念そのもの自体への否定に変わる。
必要なのはやはり「自分不全」を充たすための観念=答えではなく、みんな不全を充たすための観念=答えという転換だと思う。
みんな発であれば、その観念=答えをもとにどう実現してゆくか。
矛盾があるなら、どう解決するのか。
どう共認していくか。
という全く違うベクトルへ意識が働くのだと思う。
自分発で観念をいじくりまわしても、何の充足も無いし、何より何も実現しない。
観念機能の再生とは、「みんな発」で物事を対象化するところから始まるのだと思う。 |
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