>建築物の計算書偽造問題に関しての違和感
この問題、私もずっと違和感となって残っている。自分が設計事務所という処で仕事をしているせいかとも最初は思い、何人かとも話してみた。設計仲間と話せば迷惑な話だで終わってしまう。違和感の存在はどうもここにないようである。この話、建設業界全体に漂う暗雲のように感じるが、問題はそれだけではない。我が家も7階建てのマンションで暮らしているが妻からこの建物は大丈夫かと聞かれ答えに詰まってしまった。そして例え自分のマンションが仮に大丈夫という答えが出たところで安心は消えない。日常多くの建物の中で暮らす私達はいつどこで、震災にあうかもわからないのである。
何か今生きている世界が全て今回の偽造事件のような砂上の楼閣の上に成り立っているような不安感に襲われそうになる。これはJR事故があった直後のふわーとした気持ち悪さと似ている。
今まで考えられない事が次々と起こる・・・一つ目の違和感の正体はそこにあるのだと思う。時代の中で何かが臨界点を超えた。そこから吹き出してくるさまざまな問題。そして大衆のほとんどがそれが何か知らない。
今マスコミは躍起になって構造事務所を追いかけ回し、検査機関を叩いている。ニュース番組では常にトップで何棟倒壊ビルが増えましたという報道がなされる。
違和感の正体はもう一つあった。ここぞとばかりに報道するマスコミの過剰報道ぶりである。その過剰の中身とはただひたすら大衆に恐怖と不安を与え、問題の原因や背景や実体を全く探らない、語らない全マスコミに共通する3面記事的報道姿勢である。JRの時と同じだ。
大衆はマスコミに煽られるだけ煽られ、答えを与えられない。これはまさに袋小路に追いつめられた鼠の状態だ。このようにしてどんどん収束不全が進行していくのだ。
普通の発想ならこう考えるはず。今回の事件の本質は何なのか?それはまさに究極は社会はどうでもいい、自分しか考えないという市場という黴が持つ本質であり、小泉やアメリカが目論んでいる官→民への正体ではないか?今、まさにこの気持ち悪さを全国民が共有していると思う。その気持ち悪さの根本は私権社会が崩壊した後に残った暴走した市場というものの実体なんだ。
今、まさに必要なのは安心して生きていける社会インフラ=規範の再構築であり、それは共認原理でしか構築できない。急激に高まる人々の収束不全を前に共認社会の構築が急がれている。違和感→絶望感へ雪崩れる前に!
「いつから日本はこうなってしまったの?どうしたらいいの?」妻がTVを見ながら呟いた言葉が脳裏に残っている。 |
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