こんにちは、三宅さん。
> よく言われていることですが、我々が今まで知ってきた「科学」は、リニア思考のもので、かなりの仮定条件をおいた上でしか成立しない、「机上の空論」「欠陥品」でしかありませんでした。
そのとおりでしょうね。科学的な方法で複雑な自然を把握するには、対象を抽象化・数量化・平均化などにより、限定されたモデルとして取り出すしかなく、現実の自然を捉えているとはいえないのだと思います。
「複雑系」も、この科学的な手法をより複雑に組み合わせて、自然を理解しよというもので、やはり限界があるのではないかと思います。
無限ともいえる多くの要素が相互に関係しながら成り立っているのが自然ですから、その関係を全て把握することは無理があるのではないでしょうか。
現在は、数量化できる自然に慣れきってしまい、自然を畏怖することを忘れてしまったのでしょうね。人間中心の価値観が、数量化できる自然と現実の自然のギャップを生み出し、自然破壊などの問題として現れているのだと思います。
現在の問題を突破するには、科学がもたらした便利さの中で見捨てられてきた数量化出来ない自然を対象化し、価値観を換えることが必要なのでしょうね。
> 「複雑系」を観念的に理解することは相当困難な道のりなのでしょうが、昔の人はどうやってそれを「感じ取って」いたのか、という点に興味を惹かれます。
興味あります。自然を感じ取とる。そこから生み出される昔の人の知恵のようなコトが、今必要なのかも知れません。
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