近年の少年犯罪に対してマスコミが付けるコメント、例えば「普段まじめな子がなぜ?」というものは、犯罪を犯した少年を特別視し、一般社会と切り離した事件として扱っているように思えます。
しかし、社会全体としてイイ、ワルイ、正しい、正しくないの判断軸が共認されていない現実を考えれば、犯罪を犯した少年固有の問題ではなく、社会全体の抱える集団としての不全であり、少年だからこそストレートに評価軸の分裂状態が行動に直結しただけなのだと思います。
言うことと現実の行動が分裂しているのは社会全体として広く見られる現象であり、また法律を破らなければあとは良しとする風潮も至る所で見られます。イイ、ワルイの判断を使い分けているのは少年ではなく社会全体の問題です。
社会全体を考えるよりも自集団だけ(学校、会社、家庭など)の立場や都合、利益を優先するのが当たり前となっており、社会全体の統合は二の次とされてきました。福祉制度による国家財政赤字の問題も同根です。
この数十年は実は社会は統合されていなかった時代だったのではないでしょうか。
自集団を超えて広く社会全体を貫く共認形成、判断軸の形成こそが社会統合を可能にし、序列原理、私権原理が崩壊した今こそ統合実現可能性が開かれたのだと思います。
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