「共認圧力は、自ら発信しない限り生み出せない」(なんでや劇場)
共認圧力とは何だろうとあらためて思った。
>人類がほぼ克服し得たのは動物的(本能を直撃する様)な自然圧力・外敵圧力だけであって、本能では感取できない、しかし観念機能では認識or 予測できる人間的(超動物的)、かつ全人類的な自然課題・外敵課題は、未来永劫生まれ続ける。しかも、人類がそれらの課題の中の何をどれだけ重視するかは、人類の共認に委ねられている。つまり、全人類的生存課題→期待と応望(=追求・創造)→評価闘争=共認闘争→社会共認の形成、そしてその社会共認にとって重要な新たな人類的生存課題が更に追求され、その環が塗り重ねられてゆく。これが、同類圧力社会=共認社会の基本パラダイムである。 (実現論4_2_03)
>共認回路のほうは、欠乏と対象の相互連携により、その充足度を高めていく(欠乏を満たす)という構造があると考えています。(20119)
共認圧力とは、外圧=課題に対する欠乏を、互いに充たし合うために追及していくことなのだと思った。そうであれば、自らの役割に留まっていてもダメであり、他人の役割に踏み込むことをタブー視していてもダメである。外圧=課題に対して、みんなが充たし合うために各々の役割を超えて、どんどん発信(課題に対する欠乏の追究)をし、共認圧力をみんなで創り出していくことが共認社会では必要であると思った。
|
|