この社会は、人々の共認によって成り立っている。ところが、これまでは一握りの知識階級が、この共認を支配してきた。つまり、専ら学者や芸術家やマスコミなど専門家だけが様々な認識を作り出し、人々は、彼らが撒き散らす認識を受信するしかなかった。
しかし、彼らの観念は、殆んど現実の役に立たない。現に、社会が全面的な行き詰まりを見せているのに、未だに彼らは何の答えも出せないでいる。
何故か?彼らインテリ階級は単なる表現者であり、現実の圧力の真只中で生きる人々を外から眺める傍観者に過ぎないからである。現実から逃げて表現者の道を選んだ只の傍観者に、現実の真の姿が見える訳がないし、現実に使える認識を生み出せる訳がない。
 
旧観念の深層には、実は現実からの逃避ベクトルが刻印されている。だから知識人たちは、現実(の自分や人々)を非充足のまま放置して頭の中で代償充足を与えるだけの観念=神・愛・自由などの代償観念しか生み出してこなかった。現実から乖離した観念は、人々を出口のない袋小路に導く。しかも、現実に背を向けたその狂った観念が、人々の頭の中を支配してしまっている。
その結果、人々が何か物を考えようとしても、その観念を足がかりにするしかないので、考えれば考えるほど狂った観念世界に嵌り込んでゆき、まともに物を考えることが出来なくなる。
だから、まともな人々は、むしろそんな観念など見向きもしなくなり、物を考えることまで止めて終った。全般的な思考停止である。こうして、社会は全面閉塞状態に陥って終った。
つまり、他でもない発信階級が撒き散らす旧観念(=代償観念)こそ、この社会を全面閉塞させた真犯人なのである。 参照 20055 20354
 
誰しも、この時代を生きる当事者として、状況を掴み次代を読むことは不可欠である。そして、旧観念(固定観念)など無ければ、誰もがもっと自在に物を考えてゆけた筈である。そこで、今何よりも求められるのは、旧観念を捨て、一から新しい認識を紡ぎ出してゆくことである。
それは、夫々の仕事に従事しながらこの現実を生きる、普通の人々によって生み出される。傍観者ではなく当事者として現実を生きる普通の人々の実感と、それに基く徹底した事実の追求だけが、現実に使える認識を発掘してゆく。
ただ、現実(=この時代)は複雑で、自分一人で考えても見極められないし、判断を誤る危険もある。だから、認識の必要に気付いた皆で、現実に使える認識を発掘してゆく『場』があればいい。
それが、なんでや露店⇔なんでや勉強店⇔なんでや劇場である。そこには常に現実の可能性に目を向け、新しい認識を求める沢山の認識仲間がいる。
 
それだけではない。『認識形成の場』に参加するということは、これまで一握りの専門家が独占してきた認識の形成を、普通の人々が担うということであり、彼ら学識者(=傍観者)に代って社会の生命部である共認形成を自分たちで担ってゆくということに他ならない。
しかも、ここでは『場』に参加することが(例え読むだけだとしても)、そのまま『場』を構築する行為となる。従って、社会の心臓となる『認識形成の場』への参加は、そのまま従来の国家(≒専門家の集合体)に代る全く新しい社会統合機構(の中核部)を、自分たちでゼロから構築してゆく活動となる。それは、まぎれもなく「この時代を作ってゆく当事者になる」ということであり、だからこそ「一番面白い」活動になる。 参照 32085 32087
 
まずは、現実を切り開くための新しい概念装置を会得して下さい。(その構築に類グループ30年の歳月が費やされました。)と云っても、さしあたって必要なのは、「収束と統合」「不全と解脱」「共認機能」「私権統合」「同類闘争と同類圧力」の5つだけ。それらの概念装置を物理法則を理解するのと同じ要領で吸収してしまえば、その新概念に導かれて埋もれていた潜在思念が顕在化してきます。
あとは、その実感を皆で発信するだけ。次々と新しい認識が紡ぎ出されてゆきます。もちろん、これらの基本概念を使えば、誰でも現実を掴み、次代を読むことができるようになります。
 
答1 次代を読む 答2 近代思想に代る新概念
答3 新概念の定義集 答3 新概念の定義集
答 次代の概念装置『実現論』 答 次代の概念装置『実現論』
 
 
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