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  第三部:市場時代
     
    イ.支配共認に従う民主国家    
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   民主主義は、私権統合国家の核心部を、(全く実質を伴っていない、形式だけではあるが、)身分制から合議制に変えた。その意義は大きい。合議とは共認であり、国家は社会共認に従う存在となったのである。だが、合議制になったにも拘わらず、なぜ国家→社会は根底から変わらないのか? その答えは、既に明らかだろう。確かに、国家は社会共認に従っている。しかしその社会共認は、全て支配共認なのである。支配共認とは、強制的に(否応無く)形成された「性権力」や「占有権力」、つまり権力そのものの共認であり、それを基盤にして、権力者=支配階級が己の権力や身分を正当化し、維持する為に形成された架空観念(欺瞞観念)の共認である。人々は、その私権を共認し、自由な性=恋愛を共認し、市場拡大を共認し、自由や個人や権利を共認している。そうである限り、私権統合→性権力支配→市場拡大→権利拡大のパラダイムも変わらない。西洋の民主主義は、権力によって否応無く支配共認に染脳されて終った民に主権を与えただけである。あくまでも支配共認の枠の中での合議、これも大掛かりなペテンの一つである。  
030102    
   支配共認に従う存在である以上、民主国家は必然的に性本階級の意のままになってゆく。ところが、性権力者たちの要求は、単に旧支配階級を打倒し、身分制を解体するだけでは止まらなかった。性的自由の本質は、反集団・反規範にある。従って、性権力と市場の相互拡大が進むにつれて、性的自由を抑圧する村落共同体やそこでの集団規範や、更には一対婚規範(婚前交渉のタブーや不倫のタブー)さえもが、徹底的に解体されていった。だが、集団や規範の解体は、人類を致命的な袋小路に追い込んでゆくことになる。  
030103    
   人類の命綱たる共認は、解脱共認と闘争共認で構成されている。女原理の男女解脱共認と男原理の闘争・集団共認でバランスを取っていると言っても良い。確かに、不全課題に対応する解脱共認(中でも雌雄解脱共認)は共認機能の最基底に位置しているが、その上部には個体や集団を超えた超越課題に対応する闘争共認の世界が存在する。そして、自然や外敵や他国との闘争圧力が強くなればなるほど、それら超越課題に対応すべく、集団統合力が強まってゆく。この外圧→闘争→集団の世界は、基本的に闘争存在たる男原理の世界である。そして、農業生産の時代(ほぼ近代初期)までは、自然や他藩との闘争圧力がまだまだ強く働いており、それらの課題に対応する村落や藩などの集団の統合力もまだまだ強かった。つまり、女主導の男女解脱共認によってどれだけ強く性権や占有権に収束しようとも、決して捨象できない、男女解脱共認を超えた外圧と超越課題が存在していた。従って、いかに私権第一とは言え、何よりもまず国や藩や村落の集団課題や集団規範に正面から対応しなければ、私権を確保することも維持することも出来なかった。言い換えれば、己の私権を超えて、考えなければならない外圧や超越課題や集団規範が存在していた。  
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   だが、反集団の性的自我を原動力とする性市場→商品市場が社会の隅々までをも覆い尽くし、全ての集団が解体されて終った結果、人々は文字通り私権さえ確保すれば生存が保障される様になり、己の私権に関わること以外は、己の属する集団のことも社会のことも何も考えなくなって終った。つまり、性権力によって人類は、己の私権にしか反応しない(それ以外のことには全く反応しない)様に完全に囲い込まれて終ったのである。それにしても、社会のことなど何も考えない様にしておいて、その上で投票させる「民主主義」とは、何なのだろうか。ここにも、西洋式の民主主義の欺瞞性が又一つ、如実に現れている。  
030105    
   村落共同体や集団規範の解体は、外圧・闘争・集団という男原理の全面崩壊でもあった。その結果、存在基盤を失った男たちはますます女に対する迎合を強め、それに伴って社会共認はますます女原理一色に染められてゆく。しかも、女は性的自我に立脚しており、そうである限り女が集団や社会に立脚することなどあり得ない。女たちが「社会」や「権利」を口にする時、常にそれは己の自我・私権を貫徹する為の欺瞞であり、全ては自己を正当化し人々を騙す為の架空観念であるに過ぎない。当然、女の思い込みと要求(性的自我や、性闘争=性市場や、豊かさ=市場拡大)を正当化する為に作られた近代思想も、全てが人々を騙しペテンに嵌める為の欺瞞観念であり、全てが事実に反する嘘である。実際、その欺瞞の仮面を剥がせば、「自由」も「個人」も「権利」も、全てその正体は自我・私権を貫徹する為の思い込みであり、思い込みであるが故に、これほど無根拠で、排他的で、暴力的な観念は他になく、これほど柔軟性のない(都合の悪いことは事実さえ受け入れない)救い様のない固定観念は他にない。  
030106    
   だが民主国家は、この支配共認に従わざるを得ない。つまり国家(自治体を含む)は、性権力(と迎合男)の要求に従わざるを得ない。そうして市場拡大や福祉要求に応え続けてきた結果、国家は七〇〇兆もの借金を抱え込んで終った。これはGDP、つまり国民が1年間働いて稼ぎ出す額を超えた金額である。既に、国家財政は完全に破綻し、今やこの赤字=借金をどう返済するのかを考えることさえ、支配階級を含め全員が放棄して終っている。この様に国家を蝕み、徹底的に集団を破壊してゆく要求主義・権利主義こそ、人類を滅亡させる(その止めを刺す)人類のガンである。自己増殖し続けるこの悪性腫瘍の根が、性闘争(=恋愛)と性権力支配にあることは、言うまでもない。むしろ、性を私的選択に委ねる性市場とそこでの恋愛こそ、人類の悪性腫瘍そのものであると言うべきだろう。この性の私的選択というパラダイムを変えない限り、性権力支配→要求主義・権利主義→人類滅亡の流れは変わらない。とすれば、開けてはならないパンドラの箱を開けて性闘争を顕現させ、全ての動物がその中で育まれ進化してきた(人類もその中で人類に進化してきた)本源集団を破壊して終ったことこそ、自然の摂理に反した人類の最大の誤りだったのである。  
     
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