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    チ.性権力を正当化する欺瞞思想    
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   性闘争=恋愛の主体は当然個人であり、その個人は、当然規範から自由でなければならない(何しろ規範破りの性闘争なのだから)。そこで、恋愛が至上のものとして共認され、自由な性市場が繁殖してゆくと、下司な迎合男(近世・近代の思想家)たちが、活力溢れる性市場に幻惑されて(何しろ、そこは社会の最基底の男女共認が形成される場である)、「個人こそ社会の原点であり」、「自由こそ最も大切な価値である」などと主張して、現実には性市場にしか実在しない、個人や自由を社会全体の原点や価値にスリ替え、この事実に反するとんでもない架空観念が性市場の繁殖と共に広く行き渡って、社会共認となって終った。こうなると、モテない男まで「我思う。故に我在り。」などと訳の分からないことを呟いて、個人主義・自由主義に加担してゆく。言うまでもなく、性的自我こそ、人類を滅亡に導く邪心の源なのであって、それが人間存在にとって原点である根拠やましてや至上のものである根拠など、どこにも存在しない。同様に、「個人が原点である」根拠などどこにも存在しないし、「自由が最高である」根拠もどこにも存在しない。それどころか、それらの観念は悉く生命存在の摂理や人間存在の事実に反した嘘(or 幻想)であり、そこにあるのは邪心存在にとってはそう思い込んだ方が意識を統合し易いという自我の思い込み(=自我統合)だけで、事実に基づく根拠など一切無い。(考えてみれば、既にこの段階で、共認動物たる人類の滅亡は刻印されていたのである。)  
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   但し、ここで「思想家」という者の特性に触れておく必要がある。近代思想を作ってきたのは、一般に現実に対する否定性(不安や不満)が強く、それ故に自我収束→観念収束の強い観念タイプの人間、もっとはっきり言えばかなり偏った人間である。従って近代思想には、常にどこか病的で虚弱な観念主義の臭いが付きまとっている。しかし、病的であれ何であれ、その観念が女の性的自我や社会的存在理由を正当化してくれる都合の良い観念でありさえすれば、それは共認され、支配共認となる。その様にして近代思想は形成され、共認されていったのである。  
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   この様にして、女(と迎合男)たちが恋愛(性闘争)や性権力の共認を男女解脱共認=最基底の支配共認として確立した以上、自由主義・個人主義をはじめ、全ての社会共認が女原理一色に染め上げられてゆくのは必然である。ところが、生殖存在たる女は元来、貯蔵や豊かさ志向etc.身の安定を求める傾向が強いが、他方の闘争集団への収束力は貧弱で、従って依存性が極めて強い。しかも性的自我の本質は、反集団性・反規範性に、つまりは反社会性にある。だから、集団や社会の為に何を成し得るかという発想は皆無で、専ら自分の為に社会は何を成すべきか(してくれるか)という発想しか出てこない。そんな存在が、役割規範を破棄して性的自我に収束すれば、『集団や社会をどうする』という視点など完全に欠落し、専ら集団や社会に対して、豊かさや安定や保障を要求するだけの要求の塊と化して終う。つまり、集団=自己(集団あっての自分)という自然に則した存在原理が、集団捨象の自我収束によって徹底的に排除され、あるのは他者否定と自己正当化の塊たる自我と要求だけとなる。  
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   しかし、剥き出しの自我では人々に共認されない。社会に要求する以上、それがあたかも本源的要求であるかの様に見せかけなければならない。そこで、際限なく肥大してゆく反社会的な自我やそれに基づく要求を正当化する為に、もっともらしく幻想観念化した権利という欺瞞観念を捏造した。権利とは、集団捨象の自我→要求をもっともらしく見せかける為の架空観念に過ぎない。だから、近代思想が掲げる権利は、どれを取っても「この権利は絶対である」という根拠など全く何も無いのであって、あるのは己の自我・私権を貫徹する為の一方的な要求だけである。だからこそ、近代思想は権利だけを絶対的なものとして主張し、義務を欠落させているのである。その上、性市場を基盤に絶大なる性権力を手に入れたことによって、女たちの性的自我と、それに基づく豊かさ要求や保障要求は際限なく肥大してゆく。しかも、豊かさが実現されればされる程or 私権が保障されればされる程、性権力を抑圧する私権(占有権)の強制圧力が低下して、性権力は際限なく肥大してゆく。かくして、自我・私権の塊となって性権力の拡大に収束した女たちは、必然的に要求主義・権利主義の塊となる。  
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   しかし、それらは全て人々を欺いて共認を形成する為の欺瞞観念なので、彼らは決して醜い自我の現実には触れないで、美化された幻想観念しか見せないし、見ようともしない。従って、彼らが「個人」とか、「自由」とか、「市場」とか言う時、それは常に現実ではなく、美化された欺瞞観念を指すことになる。つまり、彼らには現実そのものを直視することができない。もし現実を直視すれば、その欺瞞思想は忽ち瓦解して終う。従って、当然のことながら実現されたのは醜い自我(エゴ)の現実のほうだけで、現実離れした、その奇麗事の欺瞞観念が言葉通りに実現されたことは、一度もない。要するに近代思想とは、反集団・反共認の自我を本源風の欺瞞観念で塗り固めただけの代物であり、狼(エゴ)が正体を隠す為に被る羊の皮にすぎない。そこには一片の真理も事実もない。あるのは、ただ欺瞞(or 詐欺)観念だけである。中でも「恋愛」と「個人」と「人権」と「福祉」は、本源価値を踏襲しているかの様に装いながら、その実、中身をすっかり自我や権利に換骨奪胎し、本源価値を破壊してゆく極めて悪質な欺瞞観念である。これほど粗悪で悪質な「思想」は、人類史上に例がない。  
     
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