メルマガ・るいのご案内へ


【バックナンバー】
NO.183〜
NO.182
NO.181
NO.180
NO.179
NO.178
NO.177
NO.176
NO.175
NO.174
NO.173
NO.172
NO.171
NO.170
NO.169
NO.168
NO.167
NO.166
NO.165
NO.164
NO.163
NO.162
NO.161
NO.160
NO.159
NO.158
NO.157
NO.156
NO.155
NO.154
NO.153
NO.152
NO.151
NO.150
NO.149
NO.148
NO.147
NO.146
NO.145
NO.144
NO.143
NO.142
NO.141
NO.140
NO.139
NO.138
NO.137
NO.136
NO.135
NO.134
NO.133
NO.132
NO.131
NO.130
NO.129
NO.128
NO.127
NO.126
NO.125
NO.124
NO.123
NO.122
NO.121
NO.120
NO.119
NO.118
NO.117
NO.116
NO.115
NO.114
NO.113
NO.112
NO.111
NO.110
NO.109
NO.108
NO.107
NO.106
NO.105
NO.104
NO.103
NO.102
NO.101
NO.100
NO.99〜
				
  るいネットメールマガジン【 る い 】NO.168[2006.1.17]

□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□

        メルマガ 【 る い 】  NO.168[2006.1.17]
            http://www.rui.jp/

□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□
  上記のアドレスからるいネットにアクセスしていただきますと、自動的に
 ログインできます。(一部のパソコンでは、使えない場合もあります)
─┬─────────────────────────────────
1  今週の注目投稿
─┴─────────────────────────────────
★ 社会板より、「私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな発へ)」
 についての議論をご紹介します。
======================================================================  
◇ ぶらさがり意識 
      【関谷啓太郎  (25 千葉 会社員)  06/01/09 PM08】  
 
  「ぶらさがり意識」

  今までの自分を振り返ると、まさにこの意識であったように思う。
  そんな状態だったが、最近になって、このままでいいのかな〜とか、もう
  ちょっとがんばらないといけないんじゃないの?と思うようになってきた。
 
  そう思えたきっかけは、同期の転属だった。私は、私よりも年が10以上
  上の人たちの中で仕事をしてきた。一番下だったこともあり、指示される
  ことばかりだったので、それに対して批判ばかりしてきたように思う。

  >序列と言えば、年配者による押し付け構造が直ぐに思い浮かぶ。そして
  若者は、そのような序列的押し付けに対して敏感に反応し、「序列原理で
  は活力が出ない」と批判を繰り返す。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=103026 )

  まさにこんな感じ。自ら未明課題に足を突っ込むこともなく、与えられた
  仕事をただこなすだけ、しかも不満そうに。
  
  そんな中、同期が転属してきた。
  最初は私的共認へ走ることもあったが、次第に外圧を捉え始め、なんとか
  その期待に応えようとしている同期の姿を見て取れた。

  >周り(or人々)の期待に応えようとする共認欠乏は、周り(or人々)の評価
  共認を媒介にして必然的に評価欠乏に収束する。
  従って、集団であれ社会であれ、共認空間は常にその最先端に評価欠乏→
  評価闘争を生起させると共に、評価共認によって統合される。(評価共認
  こそ、共認空間の統合原理である。)
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=24647 )

  同期のがんばりが認められ、評価されていく。
  その姿を見ていると、自らの評価欠乏が日に日に高まっていく感覚を覚えた。

  >このような「ぶらさがり意識」は、年配者による押し付けと同様に周囲
  の人間を疲弊させる。自ら答えを出そうとしない、その傍観者構造は押し付
  けと何も変わらない。「ぶらさがり意識」もまた序列意識に根ざしたものな
  のだ。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=103026 )

  自分が周り(特に上の人)にぶらさがることで、周りに負担をかけていたこと
  に思いが至り、申し訳なく思うようになった。そして、同期と良い意味で競
  争することで、お互い当事者としてより良い仕事(期待に応えられること)が
  できるのではという思いに至った。

  >みずからの「ぶらさがり意識」を捨て去り、新たな場に適応した主体にな
  れるかどうか。年配・若者を問わず、我々一人一人に、その意識改革が求め
  られている。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=103026 )
 
  個々の中にある人の期待に応えたいという想い。それに対する評価闘争の中
  でお互いが切磋琢磨する。その過程でお互いの想いを共有していくことで、
  共認関係を築いていけるのではないかと思う。そのことが一人一人の意識改
  革に繋がっていくのだと思う。 
    
   全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=103826
  ---------------------------------------------------------------
◇ 「新たな場」が顕在化し始めた。旧い主体では対応できない。   
        【内藤琢  (28 京都 会社員)  05/12/16 PM11】  
  
  多くの若者(男性)が、「私権」や「序列」という概念(言葉)に、最初は
  強く収束する。そして、その言葉を使い何をするかと言えば、自分の働いて
  いる企業への批判でしかない。
  曰く、「私権企業だからダメなんだ」「序列原理で古臭い会社なんだ」など
  など。

  学校の先生、また塾の先生は、普通の会社員以上のズレを感じているので、
  元々の「受験勉強に意味はあるのだろうか?」「そんな受験勉強を教えてい
  る自分って、何?」などの違和感が、「(共認原理の時代のはずなのに)私
  権に収束させるような仕事ってどうなん?」という違和感(→批判→否定)
  に変わって行く。

  このような違和感は一見正しいように思える。しかし、実際にはこの違和感
  の出所は、パラダイムが変化し続ける現実と、現実の変化に対応しきれてい
  ない自分とのズレにある。(私権原理も共認原理もない)あらゆる現実課題
  に、即応しきれず、(私権主体でも無いのに)私権圧力として課題を捉えよ
  うとすることろから発生していると言ってもいい。

  言い換えれば、場(圧力)と主体(活力)との間の大きなズレ(新たな場と
  旧い主体のズレ)から発生している違和感。

  突き詰めれば、理想的な主体(自分)が旧い主体(自分)を否定しつづけて
  いる状態。この「自己嫌悪」の状態では、無駄にエネルギーを消耗するしか
  ない。

  現代は総じて、「新たな場は既にある。しかし、旧い主体が残存し続けてい
  る時代」と言える。「潜在思念は大転換を起こした。しかし、顕在意識は未
  だ転換が遅れている時代。」

  問われているのは、「新たな場に適応した主体」になれるかどうか。目の前
  の旧い主体(相手)に同化(迎合?)するのではなく、その(旧い)主体が
  置かれている新たな場に同化できるかどうか、だと言える。  
 
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=102725
  ---------------------------------------------------------------
◇ 超国家・超市場論13 人類の新たな活力源=圧力源 
       【四方勢至  (老年 京都 編集)  02/05/21 PM05】  
 
  では、人類の新たな活力源⇒圧力源は何か?
  それは、すでに実現論4_1_00『人類500万年のパラダイム転換』に明示され
  ている。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=4&t=1#00 )

  >サル→人類が共認機能→観念機能を武器に進化してきた動物であり、その
  生存と進化の前提条件の一つであった物的生存圧力(自然圧力と外敵圧力)⇒
  物的生存課題をほぼ克服し得たのだとすれば、あるいは少なくとも動物的な
  生存圧力はもはや主要な活力源たり得ず、従って物的生産はもはや第一義課
  題たり得ないとしたら、残るのは同類圧力の活力源しかない。
 
  人類は、これまで500万年に亙って自然圧力・外敵圧力だけを対象とし(そして
  期待・応望の同類圧力を生命源として)、共認機能と観念機能を進化させてき
  た。そして5500年前(日本は2000年前)、同類闘争圧力が加わるや否や、わず
  か数千年で、自然圧力・外敵圧力をほぼ克服してしまった。
 
  これから先、人類は同類圧力(同類闘争圧力も含む)を主活力源として、共認
  機能・観念機能を更に進化させてゆくしかない。元々サルは、同類圧力を主
  活力源として共認機能を進化させてきたのだから、それは基本的には充分に
  可能である。

  >また、既に動物的な生存圧力を克服した共認社会では、環境その他の人類
  的課題に対する期待・応望の同類圧力=共認圧力が解脱充足と並んで主活力
  源となり、人々の期待に応える政治や哲学や科学や芸術が主活動となる。そ
  して、期待・応望を主活力源とするそれらの活動は、評価収束によって必然
  的に創造闘争=共認闘争の圧力を形成し、それが期待・応望の主活力を加圧
  する。

  つまり、共認社会の同類闘争は、人類的課題に応える創造競争=共認闘争と
  なる。(政治であれ哲学であれ科学であれ芸術であれ、提起された認識は共認
  の獲得を目的としており、最終的には社会共認となることを目指しているの
  で、創造競争は本質的には共認闘争である。)

  但し、あくまでも人々の期待に対する応望が主目的であって、闘争が主目的
  なのではない。闘争圧力は、評価収束によって期待・応望から必然的に派生
  する期待・応望の強化圧力であり、それによって人類的課題に対する期待・
  応望の活力は、極めて強力なエネルギーを持つことになる。

  >人類的課題に対する期待と応望を主活力源にして創造活動を営み、評価収
  束による創造競争(=新たな同類闘争)によって圧力=活力を高め、その同類
  闘争を同じ評価収束⇒評価共認によって統合する社会、これは原始人には夢
  想だにできなかった社会である。

  にも拘らず、同類圧力=共認圧力を生命源とする社会であるという根本パラ
  ダイムは、極限時代と同じである。ただ人類は、動物的な生存圧力の場を超
  えて、超動物的な同類圧力=共認圧力の場へ移行する段階を迎えただけであ
  る。それは、共認動物が到達するべくして到達した必然的世界であり、実は
  滅亡の危機に瀕した今こそ、動物的限界を引きづっていた前史が終わり、真
  の人類史が始まる、その起点となる時なのである。 
 
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=31505
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※【 】内は投稿者名・プロフィール・投稿日時です。
※投稿は一部要約しています。
※配信アドレスの変更、配信中止は、以下のページにて可能です。
 http://www.rui.jp/mm/mm_annai.html
※お問い合わせは「るいネット編集部」ruinet@rui.ne.jp まで。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◇るいネット⇒ http://www.rui.jp 				
				
このページのトップへ