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  るいネットメールマガジン【 る い 】NO.102[2004.07.27]

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        メルマガ 【 る い 】  NO.102 [2004.07.27]
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1  今週の注目投稿
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★ 「社会統合」の会議室から、『“自分”から“みんな”への意識転換』
  についての議論をご紹介します。
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◇ アイデンティティ=対象同一性!!  
         【鹿村幸代 ( 22 岡山 農業 ) 04/07/26 PM00】  
 
  >何にでも同一視、肯定視する事で安心感や充足感なんかも得ていたのか
   なと思います。
   (参照 http://www.rui.jp/message/07/53/42_860f.html )

  先日の劇場で、生きるって何?自分って何?をテーマに議論がされました。
  その中で私がとっても気付きを得たのが、同一視と肯定視と対象の構造関係。
  つまり、同一視と肯定視が出来て初めて、対象が自分の中に入ってくる、取
  り込める。というものでした。

  安心感や充足感というのは正にその結果だと思います。
  そして対象というのは本来、自分以外のもの全て。
  より多くの対象を肯定視・同一視できればその分自分と一体になる。
  肯定視出来ていった部分が自分になってる!!

  すっげぇ〜って思いました☆

  だからアイデンティティって言葉も、「自己同一性」じゃなくって、「対象
  同一性」が本来の訳になるんだって話もすごくすっきりしたし、他の社会問
  題もこれで切っていけそうだなって直感しました。

  自己同一性って言葉は、対象の獲得・同化を放棄した言葉のようにも思えま
  す。対象がないから「自分って何?」「生きるって何?」って考えてしまう
  わけで、改めて個人主義や自我教育の恐ろしさが分かりました。
  
  全文  http://www.rui.jp/message/07/54/54_e0b5.html
 
    ---------------------------------------------------------------
◇ 自分探しにみる対象同一性の消失 
           【村田頼哉 ( 32 高知 企画 ) 04/07/13 PM10】 
 
  社会規範が確立していた時代には、行動すべき方向が示されていたと言える
  のではないでしょうか。つまり、自分というものは社会にあり、みんなの中
  にあったと言えます。
  そして、その社会規範が根本規範(本源規範)であればあるほど、違和感無く
  みんなに受け入れられていたと言って良いでしょう。

  根本規範(本源規範)の大部分を取り入れてきた序列規範が存在していた時代
  (封建時代)、そして、それに私権の価値観(近代思想)が混在してきた近代に
  は、行動すべき方向が示されていた。つまり、規範を守れば良いとされてい
  たし、守らなければ悪いという基準が明確であったと言えます。

  ‘70年の貧困の消滅を契機に、それ以降は序列規範が解体される過程にあり
  ます。根本規範(本源規範)の大部分を引き継いでいた序列規範が解体される
  ことは、対象同一性(規範同一性)の対象が無くなること、つまり、人々がど
  んどん対象性を失い自分だけになってゆくことを意味しています。

  それでも‘90年頃までは、根本規範や序列規範を残していた親や仲間に対象
  同一性を見出していました。(親が言うから勉強をするとか、友達が進学す
  るから自分もするといった類のものではないでしょうか。)

  しかし、‘90年頃以降完全に対象同一性(規範同一性)を失った若者はやりた
  いこと=役割探しを始めますが、同じく対象を失った彼らの親たち(上の世
  代)は彼らに語る言葉が無くなったが故に、彼らの行動に対して「自分探し」
  あるいは「個性」という何の中身もない誤魔化しの言葉を押し付けることに
  なります。
  実際、自分たちに語るべき中身が何もないことを誤魔化すのに、「自分で考え
  なさい」「自分の好きなようにしなさい」という言葉ほど便利な言葉はありませ
  ん。しかし、そのような言葉が蔓延していったということは、彼らが規範や
  社会との対象同一性を完全に失なったことを意味しているように思います。

  上の世代は、若者がやりたいことや役割を探索している行動を「自分探し」
  という言葉で表現することによって、若者の探索先を内向けにする=閉塞さ
  せていると言えるではないでしょうか。
  彼らの行動は「自分探し」ではなく「役割探し」と呼ぶ方が可能性が開かれ
  るだけでなく、新しい規範の構築に結びつくように思います。
 
  全文 http://www.rui.jp/message/07/49/17_32be.html

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◇ 数多の自分、空虚な自分 
             【三浦弘之 ( 25 静岡 会社員 ) 04/07/25 AM00】 
 
  多くの若者が様々な場面において、自分を使い分けていると感じている。
  会社の自分、家族との自分、友人との自分、恋人との自分・・・etc。
  自分が多面的に、数多に切り分けられていると感じている。
  そしてそれとは別に本当の自分があると信じている。

  だから何か上手くいかないことがあると、
  アレは本当の自分ではないからと自らを慰めている。

  >「自分で考えなさい」「自分らしく」などといった、大人たちの無責任
   な言葉を受けて、みんな「自分」を必死に自分の中に見出そうとする。
   しかし、当然のことながら「自分」の中はカラッポ。
   (参照 http://www.rui.jp/message/07/51/17_a346.html )
 
  「本当の自分」とは大人達が捏造した「自分らしく」や「個性」などから
  生み出された幻想に過ぎず、実際には空虚な自分が存在するだけである。

  >当然上手くいかないと言う事は、周りの期待と自分の言動にズレがある
   と言う事である。
   (逆に上手く言っている時はそのような事は考えたりしない。共認充足が
   第一の時代には上手く言っている状態とは周りの期待と同化できている
   状態である。)
   (参照 http://www.rui.jp/message/07/52/84_68da.html )

  上手くいかないのは本当の自分などの幻想に囚われて自慰に耽っているだ
  けで、周りの期待を感じ掴み取れていないから。

  突破口は本当の自分などの幻想に囚われず、自分を周りに委ねること。そ
  うすることで、今まで見えていなかった周りの期待を感じる舞台に立てる。

    全文 http://www.rui.jp/message/07/54/23_4a3e.html
 
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◇ “生きる意味”は、みんなの(期待に応える)中にある 
           【西知子 ( 29 京都 秘書 ) 04/07/25 PM10】 
 
  昨日なんでや劇場で、「自分って何?生きるって何?」を聞いた。
  『自分の中身も、生きる意味も、みんなの中にある』という言葉が頭に残
  った。
  権利やお金を得ても充たされるわけじゃない。誰だって、人に期待されて、
  応えて、評価されて、生きている実感=充足を得たい。

  『男も女も全ての人も、みんなお互い充たし合う為に存在している』
  『人類の最大の活力源にして最高の充足源は、期待・応望である』
  だから、子供も、老人も、障害者も、誰でも、一番根源的な所でみんな
  の力になれる=役に立てる=存在理由がある!

  なのに、「自分」や「個性」という言葉はまるで、それを求めないと人間
  としてダメである(生きる価値がない)かのように、人を追い詰めてゆく。
  みんな本当は、みんなと同化したいのに・・・。

  >自我回路より共認回路の方が充足できる
  (参照 http://www.rui.jp/message/07/39/92_c3f7.html )

  『“自分”から“みんな”へ。』
  新しい規範の原点は、ここなのかもしれない。  

  全文 http://www.rui.jp/message/07/54/40_3e6c.html
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